長芝処刑場跡〔7760〕2024/07/14
2024年7月14日(日)曇り
あんまし、降りませんね。曇ってますが。少し過ごしやすいでしょうか。それでも、少し走ると汗が吹き出すそんな季節。今朝は、会社から帰ってきて、加賀野井、観月坂方面を走ってきました。坂道がとても気持ちいいねー。苦しくて。
観月坂は「みづきざか」。高知市内では比較的新しく造成されたニュータウン。それでももう四半世紀は超えてますね。僕が子供の頃にできた加賀野井や桜ヶ丘の団地は、なかなかの急斜面につくられてます。それに比べると、その後に造成された団地って、あんまし坂が急にならないようにつくられてますねー。走ってみると、よくわかる。
ここは、円行寺橋。右手の山を上ったところが観月坂。この道を北進すると、円行寺。岡崎牧場のディアランドファームがありますね。いわゆる「円行寺街道」。円行寺から北進し、山の方へと上っていくと、昨日の田中良助旧邸のある柴巻。
この橋の下を流れるのは久万川。このところの雨を集めて、そこそこの水量で流れています。
この橋の向こう。バス停のあるところに、花崗岩でできた大きな碑が立っています。刻まれているのは「南無妙法蓮華経」「法界萬霊」。そう。供養塔。
江戸時代、ここに処刑場があったことは、あまり知られていません。知られてないけど、Googleマップ見たらちゃんと載ってますねー。長芝処刑場跡。
藩政期、高知の城下には三つの処刑場があった、といいます。有名なのは雁切橋。今の紅葉橋のところね。あと、九反田。そして、ここ長芝。どれも、川沿いにあるのは理由があるのでありましょう。
雁切橋も、この円行寺橋も、ある意味境界の橋だった。この円行寺橋が泪橋と呼ばれ、罪人が家族と最後のお別れをした、との話もあるけど、真偽のほどは知りません。以前紹介したことのある、江戸の鈴ヶ森刑場にも泪橋があったね。それと同じ話だ。そこへ向かう橋は、ひとつの「境界」を意味していたのでしょうか。
今は、新しい団地ができ、膨れ上がった市街地の中に組み込まれました。それでも、地元の皆さんによってきれいに整備されている供養塔。