繁藤駅、52年前〔7752〕2024/07/06
2024年7月6日(土)晴れ
今日も暑いね。暑い。毎年、今年が一番暑い、みたいなことを言うてる気がするけど、暑いねー。まだ梅雨明けしてないのに。
今日の高知新聞に、昨日、繁藤災害から52年の慰霊祭が執り行われたという記事が。そう。もう、半世紀以上前になる、繁藤災害。詳しくはこのウィキに書いてるけど、小学校高学年だった僕らにも衝撃を与えた繁藤災害。今で言うと「線状降水帯」というやつやったんでしょうね。現在のように二次災害に備える意識が低く、61名もの犠牲者を出してしまった繁藤災害。
今朝、香川方面へ行く途中、繁藤駅の陸橋の上から災害現場を撮影してきました。高知行きの特急南風が通過する、繁藤駅。
気象庁の過去データを見てみたけど、「繁藤」のデータは1976年以降しかありませんでした。なので、「高知」のデータを見ると、これ。で、災害が発生した7月5日の高知市がこれ。高知市でも、午前中、豪雨となっていることがわかります。繁藤では時間雨量が95.5mm、24時間雨量742mmになっていたと言います。
多くの消防団員、住民、町職員が犠牲になっており、大雨でこの駅に足止めされていた高松行きの各駅停車も巻き揉まれて乗客乗員が犠牲となりました。
停まっていたのは、この右側のホームの右側。3番線。高松行きなので、機関車が向こうで客車4両が手前。手前の3両目と4両目はなんとか被災を免れるも、向こう側の機関車と1両目の客車が、この下を流れる穴内川まで土砂に押し流され、機関車は対岸まで到達しています。2両目は宙吊り。
その機関車は、こないだ西条の四国鉄道文化館で見たDF50の、45番。この新聞記事にはその写真が残されています。
穴内川の底には、今も、その際に押し流された繁藤駅の線路がそのまま残っていると、災害50年目の高知新聞の記事に書かれていました。
その地滑りした山は、しばらく、傷跡を剥き出しにしてました。今はもう、樹々に覆われて、どこが崩れたのかはハッキリとはわからんなってます。地理院地図にはその地滑り箇所が示されてますね。
あの災害から52年。あの災害を教訓に、二次災害への対応とか、いろんな対策が進展しては、きました。しかし、温暖化の影響とかで、雨の振り方もかなり変化し、毎年のように、100年に1度、といった豪雨が日本列島のどこかを襲っています。
暑い暑い夏。このような災害が起きないことを心より願う、夏。