山手線、京浜電気鉄道、穴守支線〔7748〕2024/07/02
2024年7月2日(火)薄曇り
今日もまた蒸せるねー。明日から週末までは晴れの予報で、気温も高い。牛乳飲んで、熱中症に備えましょう。
そんな訳で今朝も「汽車時間表」。鉄道省編纂時刻表の復刻版、大正14年(1925年)4月号。今朝のテーマは首都圏と京急。
この路線図をご覧ください。そう。まだ山手線は環状線になっておらず、東京発の電車はぐるりと時計回りで上野終点。東京上野間が開通し、山手線が環状線となるのはこの年の11月1日。環状線になる直前の路線図。
この、東海道線と並行して走っているのは現在の京浜急行、当時の京浜電気鉄道。「穴守」という駅が見えます。
皆さん、羽田空港から都心へ向かう際、どのような交通機関を使われますでしょうか。京浜急行空港線か、羽田モノレールという方が多いでしょうねー。ところが、僕が東京で大学生をやっていた頃は、モノレール「一択」だった。京浜急行にも「羽田空港駅」が存在したけど、空港ビルからはとんでもなく離れていて、それを利用するのは現実的ではありませんでした。
1993年、現在の天空橋駅まで延伸し、モノレールに乗り換えて羽田空港へ行けるようになり、そして1998年、羽田空港の新しいターミナルビル完成に際して、空港まで乗り入れるようになった、京急空港線。いつも混んでますねー。
実は、京浜電車、この大正14年当時でも羽田空港近くまで路線を有しています。この路線図の「穴守駅」は、現在の羽田空港敷地内にあった穴森稲荷神社さんの最寄駅。当時の航空写真がこれで、現在はこれ。蒲田駅から「支線」という形で穴森稲荷さんまで線路が敷かれ、電車が走っていたのでした。
この時刻表で見ると、なんとなんと、朝5時から深夜0時まで、約9分毎に運行、と書いてます。すごい。そんなに需要があったんだ。そもそも、この路線図にもある「大師」支線が参詣路線として大成功したのを契機に計画され、つくられた「穴守」支線。往時、有名神社仏閣への参詣というのは、かなりの需要を生み出していたのでした。
穴森稲荷さんまで鉄道ができたら、今度は界隈の大規模リゾート開発が行われて賑わった、という話は以前にも書いたね。
そうそう。この「穴守」支線ができたのは、京浜電車が品川につながるよりも早いのでした。明治の頃、京浜電車は、現在のJR大森駅の前から京急大森海岸駅につながり、神奈川へと走っていたのでした。その後、品川駅の西の高輪駅まで延伸したので、大森駅と大森海岸駅との間は支線となったのでした。この路線図にも見えます。
その京浜電車大森駅は、大阪の箕面駅と同じくループ線になってました。この地図見ると、ループ線になっていた部分が道路となってはっきり残ってます。どうでもいいですか?
そんな訳で興味が尽きない「汽車時間表」。これ一冊で、何日も遊べるね。いや、遊んでる場合ではなくて。仕事仕事!