薊野、スタバ、沢マン、墓山、竹林〔7744〕2024/06/28
2024年6月28日(金)雨
梅雨やねー。梅雨らしい朝。雨の匂い、まあまあ好きです。
今朝は薊野に来てます。北環状線の、スタバのある駐車場。向こうにスタバが見えてますね。スタバがある、ということでもわかるように、この界隈は車も多く走り、ロードサイドに店舗がたくさん並ぶ場所。イオンもありますきんね。
で、こないだも書いたけど、高知市界隈でも劇的に風景が変わった地域でもあります。薊野。あぞの。あぞうの。
スマホに表示されているのは、「古地図散歩」で表示した1960年代の航空写真。青丸のところで、撮影。当時、まだ沢田マンションは建ってません。山裾に古くからの家々があり、久万川沿いに新しい団地造成が始まっている。そんな時代。イオンの場所はもちろんシキボウ。敷島紡績の広大な敷地が広がるばかり。あとはもう、全部、田んぼ。地理院地図の航空写真で見ると、こんな感じね。十字の場所が、スタバ。
同じ場所を、今昔マップで見てみよう。
左側は戦前の地図だ。右側の現在の地図と見比べて見よう。もちろん、田んぼがあったエリアには家々や店舗が密集しました。山を見てみると。
戦前の地図では、平地に近い山にはたくさんの「お墓」の地図記号が見えます。今もあるけど、広葉樹林になっている山も、多い。特にこの小山なんか、以前は完全にお墓の山だったことがわかるけど、今は鬱蒼とした樹々に覆われてます。お墓は残っているけど、樹々に覆われて、地図記号としては広葉樹林になっておる訳だ。
今、整備された霊園でもない限り、山の墓所って、山の中の樹々に覆われた薄暗い場所にある場合が多いよね。筆山とか五台山とかも、そう。でも、そういったお墓って、ほんの数十年前までは見晴らしの良い山の斜面にあって、周囲を睥睨していた訳だ。見晴らしの良い、気持ちいい場所で眠りたいですもんね。そんな里山、墓山も、すっかりと変わってしまいました。
あと、戦前の地図にはなくて現在の地図に多いもの。それは、竹林。昔、竹は有用な材料で、竹林が今のように樹林を侵食していく、みたいなことは無かった。現代は増えたねー、竹林。
半世紀ちょっとで、こんな風景がこんなになりました。これからどんなに変わってゆくのか。人口が減り、山に人の手が入らなくなる未来。半世紀後も興味深いけど、200年、300年後はまったく違った原始の風景、縄文のような風景になっていたりして。