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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

三谷寺の由来は複雑に錯綜〔7711〕2024/05/26

三谷寺の由来は複雑に錯綜

2027年5月26日(日)曇り

昨日は、このにっこりで書いたように、鏡川沿いを旧鏡村役場界隈まで走ってきました。RIOは相変わらずの静かな温泉。食堂の運営は、鏡村の時代からかなりの変遷を経ましたねー。焼き飯食べてビール飲んで、バスに揺られて戻ってきました。

今朝も早朝、会社へ行ってから高知市へ戻り、北山をたつくってダイエットに勤しんで参りました。秦泉寺ー三谷往復RUN。

 

幾度も書いてきたように、藩政期から栄えた三谷往還の道は、10年前の大雨で通行止めになってから荒廃が進み、特に夏場は歩くのが大変。なので、今朝はここからここを通ってこの道を走りました。これはこれでなかなかの急坂でして、苦し心地よい三谷RUN。

三谷集落は、ここ

この地図見ると、ここが「三谷」である理由がわかります。東谷、中谷、西谷の3つの谷が、ここ三谷でひとつの流れとなり、金谷川となって久万川へ。その、3つの谷が集まる少しひらけた場所が、三谷。その三谷集落の一番高いところにあるのが、ここ、三谷寺。

その成り立ち。本堂前の説明版には、弘法大師が立ち寄って薬師如来を刻し、本尊としたので『三谷山弘法寺』と言ったと書かれています。長宗我部地検帳では「弘法寺薬師堂」とも、ある。で、藩政期になり、三代藩主忠豊公のとき、西方にあった清水寺と合祀再建して「三谷山千手院弘法寺」と呼称したとのこと。

明治維新で廃寺となった後に再興、「清水山弘法院三谷寺」となったのは昭和17年。

こんな歴史なので、伝承が、弘法寺と清水寺の伝承が混同し、ややこしいことになっているみたい。

 

「南路誌」には、平城天皇の御代、坂上田村麻呂が「凶徒退治現世安民」の御願として六十余州に建立した寺のひとつ、と書かれてます。本尊の千手観音は、京都清水寺の本尊と同作だ、と。で、その後、弘法大師が立ち寄って薬師如来像を刻んだので、弘法寺と改称し、空海を中興の祖とすると書かれているそう。

ところが、「土佐州郡志」には違う伝承が書かれ、様々な説が混在、入り乱れてて、ここに書くのも面倒くさいややこしさ。

 

まあ、とにかく、三谷は古い古い集落で、そこに古い古い寺院があり、この山一帯のもならず、広く信仰を集めました、ということだ。まとめすぎ?

 

現在の三谷集落も、結構、広い。高知から上がっていくと、その集落入口の標高は134m。集落てっぺんの三谷観音の標高は243m。標高差100m以上のひらけた谷、三谷。

駆け上がって行って、集落に到着、と思って安心したらいけません。観音様は、そこから標高差にして100m以上高い場所にありますきに。特に最後の急坂は、とんでもない。観音様に到着すると、すごい達成感とともに、ありがたみを感じることができるのです。そんな素敵な日曜日。


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