高知海軍航空隊送信所と大爆発〔7706〕2024/05/21
2024年5月21日(火)晴れ
南国市と香美市の境界近く、南国市陣山に、戦争後期、高知海軍航空隊送信所がありました。現在の高知空港の場所に海軍高知航空隊の飛行場と基地がつくられたのに合わせて。その通信部門としてつくられたのが、高知海軍航空隊送信所。敷地面積は37,000平方メートルというから、なかなか広い。日章の航空隊とは有線のケーブルで結ばれてたと言います。
戦後間もなくのこの航空写真を高解像度でご覧ください。現在の航空写真で言えばこの十字の場所辺り。Googleマップだとこの辺。その場所をこの航空写真で拡大表示して見てみると、長方形の、広大な敷地が確認できます。
戦争は1945年8月15日に終結する訳やけど、その直後、米軍上陸作戦に備えて高知の海岸に展開していた部隊が所有していた大量の武器弾薬は、その、送信所跡地に集められたと言います。そして、同年11月10日より、占領軍の指示により、復員軍人や勤労奉仕の人たちによって、火薬の抜き取り作業が始まったそう。そして11月19日。その作業中、穴を掘って燃やしていた火薬が燃え広がり、大爆発を起こしたのでした。その大爆発は、多くの死傷者とともに、住居にも甚大な被害をもたらしたと言います。爆風で被害を受けた家屋はなんと1700戸余り。
弊社近くの変電所のガラス窓も割れたというから、すごい。
ただ、この事故は、占領軍によって報道管制が布かれ、県民に知らされることはなかったとされます。だから、あまり知られていません。今、その大爆発を記憶する人も減ってしまいました。
陣山の送信所跡と言うと、こういうページが検索されます。ここは、送信所があった場所から北へ1kmほど行った山の麓。戦争末期、米軍の空襲が激しくなってきたので、通信設備はその小山に掘った横穴に移されたとのことなので、この戦争遺跡は、その移設された通信機器が収められたトンネルの、入り口。今朝は、その場所を撮影してきました。
このことを思い出したのは、昨日もご紹介した鉄道マニアの方から、こんな動画を紹介して貰ったから。この中の3分4秒くらいからの映像は、この小山界隈から撮影したものだと思われます。昨日と同じくDF50が牽引する普通列車。向こうに三宝連山が見え、香長平野の田畑が長閑に広がっています。80年前、ここで大爆発があったことが嘘のように。
今日の話は、そこを発掘調査した高知県埋蔵文化財センターの報告書を参考に書かせて頂きました。その報告書によりますれば、旧送信所の周辺には、まだ、多くの砲弾が埋まっているとのことです。