夢と志の三宝山〔7696〕2024/05/11
2024年5月11日(土)晴れ!
良いお天気。今朝は、早朝から会社でふた仕事ほど済ませてから、野市の三宝山を攻め上がってきました。麓に車を停めて、スカイラインの急坂を駆け上がる。苦し心地よい、三宝山RUN。
てっぺんでは、現在、北村興産さんによる大規模な造成工事が進められて、います。創造広場アクトランド三宝山多目的広場造成工事。以前、その造成工事近くまで駆け上がったときには、その造成工事の工期は令和6年4月12日まで、となっていたけど、今日、工事看板を見ると令和7年4月12日まで、と変更になってました。諸々の資材不足とかが影響してるんでしょうかね。それとも、北村さんのこだわりがあるのかも知れない。
三宝山に「スカイライン」ができたのは昭和48年のこと。1973年。半世紀、前。三宝山麓から三宝山頂を経由して龍河洞までつながる「スカイライン」。昭和45年、高知新聞社社長福田義郎さん、県議の岡崎喜代志さん、それえに東部自動車学校長の北村憲一郎さんが共同で「株式会社龍河洞スカイライン」を設立し、昭和48年に開業。すごいね。この工期の短さ。
三宝山は石灰岩の山。その山を切り拓いて、2車線の道路をつくる。それを、たった3年で。できあがった道路は「私道」で、有料道路でした。平成9年(1997年)まで。
山頂にあった遊園地「スカイパーク」が平成9年に閉園となると、龍河洞スカイラインも県に寄付されて県道となり、無料の道路となったのでした。
その道路の途中で撮影したのが、この写真。丁度、シャトーの胸間城壁のことろからお日様が見えてます。手前は石灰石の巨岩。この写真ではわかりにくいけど、真下の道路から見上げると、この巨岩はオーバーハングしていて、なかなかの迫力。この巨岩を打ち砕きながらの道路工事というのは、なかなか大変だったと想像します。たった3年で。しかも私道で。石灰岩の掘削技術とかが使われたでしょうか。
夢と志をもった人たちによってつくられたスカイライン。その恩恵は、後世の僕たちにとって計り知れない。その三宝山が、また、夢と志をもった方々によって新しく生まれ変わろうとしているのでした。どんなになるんでしょうね。こないだ、ある居酒屋さんで北村さんにバッタリお会いしたけど、詳しく聞くことはできませんでした。が、すごい施設になる、とのことです。