旧土佐山村、弘瀬の鏡川〔767〕2005/05/22
2005年5月22日(日)雨
今日は日曜日。ひまわり太郎Jr.達は、本日運動会の予定でありましたが、明後日に順延になりました。残念。
残念がりよっても仕方ないので、この休日を有効活用せんといかんと思い、会社に出掛けました。で、お昼前、やおら本社を出発してあても無く鏡川縁りを走り始めたのであります。月の瀬橋のところから北上、電車通りを突っ切り、円行寺街道をどんどんと北上して、通称北山を登ります。最近は、ここから龍馬の友人「田中良助邸」のある柴巻方面へ左折して駆け上がることが多いんですが、今日は趣向を変えてそのまま真っすぐ攻め登り、網川トンネルを抜けて旧土佐山村まで下りて来ました。
今年1月1日から高知市になった土佐山。下りきったところにある開けた集落が「弘瀬」。ここまでは本社から約14km。写真は、その弘瀬を流れる鏡川(そう、いつもの鏡川の源流はここ土佐山なんですね)。弘瀬橋の下の河原で疲れた足を清流につばけて喜ぶひまわり太郎でございます。向こうに見えるのは土佐山中学校。旧役場は、ここから鏡川を更に5kmほど遡らんといけません。
けんど気持ち良かったです、この冷たい流れ。川の瀬が、この辺りで突然広うなっちゅうき、「弘瀬」になったがでしょうかね。勝手な想像をしてしまいました。
土佐山村は、明治22年にこの界隈の10ヶ村が合併してできた村。人口は1300人くらいでした。で、ここはもちろん弘瀬村。そう言えば、千数百万人の人口を抱える上海市で一万人規模のデモがあった、という報道がありましたが、つまり土佐山村で一人ほたこえた、てな感じなんでしょうかね、などととつまらんことを考えつつ、弘瀬を出発して鏡川を下ります。標識を見ると鏡村役場まで7km。おう、今日は21km走れるぞ!と喜びながら、坂道をどんどんと登ります。川は下るが、道は村境の峠に向かってどんどんと登ります。で、鏡ダムのダム湖畔へ出て、ダムの下まで走るとそこにはいつもの温泉施設RIO。
雨の中走るのが大好きなひまわり太郎は、極楽な一日を過ごしたのでありました。