ここにあった手動の踏切〔7662〕2024/04/07
2024年4月7日(日)曇り
昨日一昨日ご紹介したYouTubeの動画。その中には、高知駅の東側の、懐かしい踏切の映像もありました。これの51分50秒くらいから映っているのが、そう。向こうに見える高知駅からDF50形の機関車が50系客車を牽引する列車が発車、踏切を通って東へと走る映像。懐かしいねー。
この踏切は、今の人たちにはわからんかも知れんけど、国道32号線の踏切。ここから薊野、一宮、逢坂峠を越えて領石へのルートが、高知から瀬戸内海、本州方面へと向かうメインルートだった、あの頃。
交通量も多くて、踏切番のおんちゃんが居て、手動で遮断機を上げ下げしていました。この動画で遮断機が降りるけど、これはおんちゃんがハンドル回して降ろしているんですね。
なかなか混雑する道路で、朝の通勤時間帯は、南からは進入できんなってて、まだ若かった僕は知らずに進入して切符を切られた思い出があります。それもこれも、懐かしいねー。
土讃線の、ヂーゼル機関車が引っ張る客車の普通列車には、思い出がいっぱい。この50系客車は新しいもので、子供の頃、親戚んちがある箸蔵駅までしょっちゅう乗っていたのは、もっと古めかしい焦げ茶色した客車でした。よくわからんけど、10系とかなんでしょうかね。このにっこり読者には、かなりのマニアの方もいらっしゃるので、ひょっとしたら教えてくれるかも知れません。
その客車は、最後尾の連結部分の真ん中の戸が開けっぱなしになっていました。小学生だった僕は、その最後尾の開けっぱなしの扉から、通り過ぎていく線路の風景を飽きもせずに眺めている少年でした。
この動画の51分50秒くらいからの風景は、この十字の辺りで西向いて、つまり踏切越しに高知駅の方向を向いて撮影しています。今だとここ。今朝の写真は、この十字の場所で南西向いて撮影したもの。今だとここ。ここに、大きな踏切がありました。
踏切の南の西、つまり高知駅寄りには国鉄の建物がいくつか並んでて、その中に「国鉄物資部」という売店があったことを知っている方も、もう少ないかも知れません。国鉄職員さんがだけが利用する売店。僕がまだ20代の営業社員だった頃、その「国鉄物資部」に配達しに来てました。たまにですが。そこで売られているものがとても安かったことは、鮮明に覚えてます。
今は、この東に大きな道路が通っていて、ここは静かな小さな高架下。今は昔。
ここが、高知でも有数の交通量の多い踏切だったことを示す痕跡は、なにも、ない。