大阪セメント専用線の橋は、ここに。〔7661〕2024/04/06
2024年4月6日(土)薄曇り
春やね。この土日がお花見のピークでしょうか。お天気持つと、いいね。今日の午後は、用事があって須崎へ来てます。汽車に乗って。夜は、僕の大好きな「書肆 織平庵」。今晩織平庵へ行くと、いいことがあるかも知れません。須崎を楽しみたい方は、ぜひ。
昨日ご紹介したYouTubeでは、僕が大学生の頃、1982年頃の石灰運搬専用線を石灰を積んだ貨車が走る映像を観ることができます。で、昨日は斗賀野駅から土佐石灰工業までの専用線終点のところをご紹介したけど、今日は、多ノ郷駅から大阪セメントまでの専用線。
Googleマップで見たら、この辺。この衛星写真で、専用線が走っていたルート、わかりますでしょうか。地理院地図の航空写真だと、これ。そして1970年代の航空写真が、これだ。この写真見ると、多ノ郷駅から分岐した線路がカーブして南へ走り、海を渡って大阪セメントの工場内へと延びている様子がよくわかります。
昨日の場所で石灰石を積載した貨車が、DF50形に牽引されて、この工場まで運ばれていたのでした。DF50はこの映像の後に引退しているので、その後に貨車を牽引したのはDE10。凸型の機関車やったねー。
この動画では、6分26秒くらいから、大阪セメントから出てくるDF50の勇姿を見ることができます。今、同じアングルで、古地図散歩の1970年代の航空写真を見ながら撮影してます。青丸が現在地。ここに橋が、ありました。対岸、高い煙突の下少し左に、橋台の痕跡を見ることができるね。
こんな動画もありました。1992年9月30日。この日が、専用線を使った石灰列車最後の日。昨日の場所で積み込まれた石灰石が、土讃線を通り、大阪セメント専用線を走って最後のお勤め。
昨日も書いたけど、日本中に巡らされた鉄路は、将来の社会を変えるかも知れない。まず、労働力、ドライバー不足が今後解消されるとは思えないので、少ない人員で陸上の大量輸送を担える鉄道は、このYouTubeを見ているだけでも有効に思えてなりません。そして、高速大量輸送、ということで言えば、かなり無理して張り巡らされ得ている新幹線網も、有効だ。
今後、芸備線みたいな議論が増えてくると思うけど、今一度、鉄道を見直してはいかがだろうか。このままだと、新幹線だって、将来は「乗って残そう○○新幹線」みたいな話になると僕は思ってます。
まずは、土讃線に貨物列車を復活させたい。布師田の車両基地に物流センターをつくり、宅配便業者などとも連携する。貴重な懐かしい映像を見ながら、僕の妄想に火がついてしまったのでした。