石灰石輸送専用線〔7660〕2024/04/05
2024年4月5日(金)薄曇り
近年、昔の懐かしい映像とかがUPされて楽しめるYouTubeも増えてきたよね。個人蔵の貴重な8ミリやホームビデオの映像が、デジタル化されて上がっていたり、します。先日も、こんな動画を発見しました。すごい。土讃線を走るDF50と、斗賀野駅、多ノ郷駅から延びる土佐石灰工業専用線だ。
石灰工業への専用線があることは聞いておったけど、まさか映像が残っているとは。とてもとても貴重な映像を、こうやってお手軽に観ることができる。そんな時代になりました。
この動画の13分くらいのことろから、斗賀野専用線の終点、土佐石灰工業の積み込み場にて、貨車を入れ替えたりする映像が見られます。今日は佐川方面へ行っていたので、少し寄り道して、その映像の場所を撮影してきたのでした。
現在のGoogleマップで見ると、この辺。地理院地図の航空写真だと、こう。この十字の場所くらいから、積み込み場方面を撮影したのが、今日の写真。
で、1960年代の航空写真が、これ。この向こう、左手の山が切れるその向こうから、白い構築物が山に向かって伸びているのがわかります。それが、この動画で映っている白い大きな建物。長さは100mもあるでしょうか。谷に沿って延びる建物は、奥に行くほど左右の土地が高くなり、この向こうからコンベアで運ばれてくる石灰石を、貨車に積んでいたのでしょう。
最初、この左側、山裾の道が廃線跡と思ってましたが違います。あの道は、当時から道路。で、この眼前の広い場所に、線路が複線となって伸びていました。そして、機関車や貨車の入れ替え作業を行なっていた。そんな痕跡が。この広い土地。
往時の航空写真を見ると、斗賀野駅から土讃線に並走してきた専用線は、襟野々駅の手前で右にカーブして、まっすぐにこの場所へとつながっています。今も、そのルートは確認できますね。
この動画が撮影されたのは昭和58年(1983年)頃。国鉄の貨物列車、貨車輸送が大量輸送の花形だった時代が終焉を迎え、分割民営化へと走っていた時代。その後、平成4年(1992年)に専用線は廃止され、トラックでの輸送が主体となりました。
こうやって見てみると、いいねー。ガシャガシャという音もいい。
少子高齢化の中で、ドライバー不足、人手不足が深刻な昨今。地球環境も、対策待ったなしの、昨今。新幹線貨物列車も含め、これからの社会では、鉄道輸送というものも見直されていいのではないか、などと思うのは、僕の鉄分が濃いからだろうか。
いや、少ない人手で、環境負荷の少ない鉄道による大量輸送。これはひとつの明るい未来なのかも知れない、などと今日も妄想するのでした。