「花之丞」の予感〔7657〕2024/04/02
2024年4月2日(火)晴れ
南国市にはいくつかのお花見スポットがあるけど、ここもその一つ。吾岡山南麓、熊野神社参道。先週末には出店も。なかなか賑わったといいますねー。4時過ぎ、出勤途中に撮影してきました。今朝もよく晴れてますが、予報によりますれば今晩から雨。金曜日以外は雨マークが多い1週間。本当は、昨夜あたりが一番のお花見日和だったんでしょうね。
熊野神社。この、吾岡山(ごおかやま)南麓の熊野神社は、長宗我部元親が伊予、阿波に出兵する際に必勝祈願で紀州熊野神を勧請してきたという由緒のある、古いお宮さん。もちろん、明治になるまでは神仏習合で「三所権現」。権現様。元親勧請と言われるだけあって、藩政期には広い広い神域を持っていたと言います。
熊野神社。熊野信仰。
そもそも、天台宗修験の中心である紀州熊野山の山岳信仰。若一王子とか十二所神社とか三所権現とか、すべて熊野信仰によるものやけど、長宗我部地検帳では、土佐に79社確認できるそう。1931年の「高知県神社誌」でも129社となっており、土佐での信仰の一大勢力となっている、と、高知新聞社「高知県百科事典」に書いてます。もちろん八幡神や天神様、お稲荷さんも多いけど、熊野系も、かなり多いのでありました。
土佐の中でも特に熊野系寺社が多いのが、香美郡、長岡郡、高岡郡。山岳信仰だけあって、越知、横倉山のような険しい山に多いのが熊野信仰。平安末期から鎌倉初期にかけて、土佐に広がったといいます。
紀州と土佐は、海でつながっており、鰹漁や鯨漁での深い交流の痕跡はは、勝浦浜、桂浜などの地名にも見られると言われております。そして、土佐では、熊野系寺社の多い地域に平家落人伝説が多いことから、関係があったのではないか、という説も、あります。まあ、平家落人は険しい山中に分け入ったでしょうから、そこに熊野信仰があった、ということもあるかも知れんけど。
ここ吾岡山は険しい山ではなくて里山やけど、南側の、チャートが剥き出しになった急斜面を険しい修験場と見立てて、しつらえられてますね。元親さんの意向でしょうか。
この参道の桜は、ソメイヨシノ。もちろん、近代になってから植えられた桜。この界隈での桜で思い出すのは、ここから西へ1kmほどにある船岡山の住吉神社。元は住吉大明神。藩政期、文化文政の頃、その近在に住む武市花之丞と呼ばれた人物が、あちこちから桜の苗木を取り寄せて植え、船岡山の南麓を桜の名所としたとのこと。もちろん、ヤマザクラが中心だったでしょうか。今の季節になると、大勢の善男善女がお花見に集まったと言います。
吾岡山南麓の三所権現でも、それを意識したんでしょうかね。いつしか桜が植えられ、桜の名所となりました。久々に行ってみると、ここの桜も古木が多くなっています。ソメイヨシノの寿命から推測して、ここの桜は昭和の「花之丞」さんが植えたものでしょう。よく見ると、小さな桜の苗木も植っています。そろそろ、令和の「花之丞」さんが現れる、そんな予感がする、吾岡山の熊野神社。