劣化した森と豊かな森〔7648〕2024/03/24
2024年3月24日(日)雨
昨日の「てんくろうの会」のお花見、桜はまだほとんど咲いてないけど、盛況でした。参加人数、今までで一番多かったんではないでしょうかね。楽しいひとときを過ごさせていただき、お街へ戻って楽しいふたときを過ごさせていただき、今日は、身体に蓄積したアルコール分を抜きたい日曜日。しかも、雨だ。
雨が降ると、山を走りたくなる人が、います。あんましたくさんではないけど、います。そんな訳で、今朝は久々に南嶺を走りに行ってました。しっかりした雨が降る南嶺。マイナスイオンたっぷりで、本当に気持ち良かったですねー。山中、まったく人間に遭遇しなかったのが不思議。鬱蒼とした森と山を独り占めして、楽しんできたのでした。そう。鬱蒼とした、森。
今、「森林飽和」という本を読んでます。現代の僕らが当たり前のように見ている山は、特に里山は、ほんの数十年前までは草山、はげ山であった、という話。古代から、人が暮らす周辺の山々は、燃料や建築材、肥料などに材木が利用される為に、かなり荒廃が進んできていました。その荒廃は、江戸時代になってから急激に進み、明治中期に頂点を迎えた、と書かれています。
もちろん、山林の荒廃が土砂崩れや砂の堆積などの被害をもたらすことは昔から知られていたけど、対策が荒廃に追いつかない、という社会だったのでした。明治中期以降、河川法、森林法、砂防法などができて、治山治水が進み、技術が進歩。人工造林も、かなり進められました。しかし太平洋戦争期には、かなりの混乱の中で山の劣化が再び進む。
劇的に山の様子が変わり、緑が増えていったのは、1960年代のエネルギー革命頃から、と言われているんですね。
そう。僕が生まれる前の里山は、草山、はげ山、そして畑だった。
今日の写真は、この十字の場所から東向いて撮影しました。仏像構造線の、谷。マイナスイオンたっぷりの、杉の森。1960年代の同じ場所が、これ。そう。畑が見えるし、森も深くない。
この単写真は、戦後間もなく、昭和23年1月に撮影されたもの。高解像度表示で、南嶺を拡大してみてください。ほとんどが草山、はげ山であったことがわかるね。それから76年経過し、そんな風景は想像もできなくなりました。そう言えば、僕が子供の頃、鷲尾山のてっぺんは360度のパノラマで、北斜面は灌木の斜面だった。
「森林飽和」の帯には、豊かな森を取り戻したことの「代償」とは何か、と意味深な言葉が綴られています。劣化していた森が戻ってきた。その先にあるものは。それについては、また今度。