半世紀前の精華小学校〔7645〕2024/03/21
2024年3月21日(木)晴れ!
ひやいねー。朝、出勤しようとしたら車のフロントガラスがかちばりついちょりました。三寒四温の三寒目でしょうかね。ここから季節は一気に春へ。春雨が続きそうではありますが、今日は良いお天気。
昨日の高知新聞に、少し寂しい記事がありました。津野町の精華小学校が今月で閉校になる、という記事。そうか。閉校か。この4月から葉山小学校に統合され、旧葉山村内の小学校は葉山小学校だけになる、という記事。
創立150年。この、学校の沿革見ると、昭和31年の児童数は419名なので、かなりの大規模校だったことがわかります。近年でも、体育館を改修したり校内LANを設置したり、蛇口を自動水栓にしたり、と、まさか閉校に向かって進んでいたとは思えないような、沿革。
精華小学校には、思い出があります。僕が中学校一年生のとき。昭和49年の、夏。5月に吹奏楽部に入部した僕は、アルトサックス担当となり、やっと音階が吹けて譜面が読めるようになったくらいでした。僕らの学校は中高一貫で、吹奏楽部は高校吹奏楽部ひとつだけ。なので、中学生でも、高校吹奏楽部の一員として、吹奏楽コンクールは高校部門に出場していたのでした。そして、あろうことか、高知県代表となり、四国大会へも出場していたんですね。四国大会が開催されるのは、8月終わり。そんな訳で、夏休みに行われる夏合宿は、四国大会に向けての強化合宿といった色合いが濃かった、あの時代。
なんと、5月に初めて楽器を咥えた中学一年生の僕も、吹奏楽コンクール高校生の部に出場し、あろうことか四国大会にも出場することになり、夏合宿を迎えたのでした。その年の夏合宿が行われたのが、葉山村立精華小学校。
懐かしいねー。半世紀前の思い出。合宿最終日には、近在にお住みの皆さんをお招きして、ミニコンサートをやりました。コンクールの曲ではなく、ポピュラーな音楽を人前で演奏したのは、その場が初めて。オブラディオブラダか何かを吹いたでしょうか。
あれから半世紀。その後、クラブの合宿で訪れた鏡村立鏡第二小学校も、大豊町立東豊永小学校も、かなり前に閉校になってしまい、残るは精華小学校だけになっていました。そこも、閉校。
学校は地域の紐帯。それがなくなっていく、ということは、地域の衰退を加速する。これからの日本、どんな社会になっていくんでしょうか。今の子供達が、半世紀後、今を振り返ってどんな感慨を持つんだろう。