安芸線、くろ鉄、DMV〔7644〕2024/03/20
2024年3月20日(水)晴れ
晴れちゅうけど、冷やい。大陸の高気圧と太平洋高気圧に挟まれた前線が、荒れた天気を日本列島にもたらしているようです。風がすごいね。海は波高く、白波、三角波が見えている太平洋。
そんな怒涛の太平洋を見ながら、田野へ。高知県東部、中芸地区の真ん中、田野。藩政期には「田野学館」があり、中岡慎太郎などの俊英を育んだ文教の町。面積は四国で一番狭い自治体やけど、昔から栄えた面影は、街中の随所でもてとることができる、町。
そんな田野の町に鉄道が通ったのは、土佐くろしお鉄道ごめんなはり線が開業した2002年のこと。「四国循環鉄道構想」のもと、安芸ー田野間で着工したのが1965年。その後、国鉄の多額の債務など、多くの難局、紆余曲折があり、なんと37年かかって開通したのがごめんなはり線でした。
こないだ書いたけど、高知鉄道安芸線が開通したのは昭和5年、1930年のこと。前年に社長に就任した土佐の交通王、野村茂久馬さんが、その剛腕で、たった1年で手結ー安芸間の完成にこぎつけたという安芸線。そこにも書いたように、昭和16年当時の株主名簿には、安芸郡や香美郡の多くの住民が小口株主となって支えていたのでした。
野村茂久馬さんの構想では、安芸駅まで開通した後は、室戸まで延伸するつもりだった、とのこと。しかし、戦争が始まるなどの社会情勢の中で断念した、と言います。茂久馬さんの出身は奈半利。そんなこともあって、やりたかったでしょうねー。
もし。もしも、その際に室戸まで高知鉄道が延伸していたら、土佐くろしお鉄道も室戸まで走っていたんだろうか。鉄分の濃い僕としては、いろんなことを妄想してしまうのでした。
今は、この田野駅の隣の奈半利駅が終点のごめんなはり線。かつて、まだ四国循環鉄道構想があった頃は、阿佐西線と呼ばれてたよね。で、阿佐東線は、徳島県の海南町から高知県東洋町、そして室戸まで延伸してくる路線計画だったと記憶します。
今は、阿佐海岸鉄道となり、鉄道としては高知県の甲浦駅までで、そこからはDMV。ただこのDMV、室戸まで走るのは土日祝日の1往復だけ。なかなかに使いづらいので、利用者も少ないと言いますねー。
ここは一発、地域の足として、もっと便利に運行してほしい。高知駅発、室戸駅経由、徳島駅行きなんてーのがあったらいいね。DMVは乗車定員が少ないのが欠点なので、何両か連結できる仕様にしたらどうでしょう。こないだ、土電の市内電車600型が2両も3両も連結して、海岸の線路を颯爽と走っている映像を見て、そんな妄想をしてしまうのでした。