13年〔7635〕2024/03/11

2024年3月11日(月)晴れ
13年というと、生まれた赤ちゃんが中学生になる歳月。僕らの歳になるとアッという間やけど、若者にとってはそれなりに長い歳月なんだろうと思う。
今朝の高知新聞では、元高知県庁職員の方が、浪江町役場で10年間震災復興の業務にあたっている、という記事が紹介されてました。人口が震災前から十分の一に減少した町で、時にやるせなさや限界を感じながら、それでも街の復興に取り組む。13年経過しても、まだまだ復興には程遠い浪江町の姿には、いろんなことを考えさせられます。
東日本大震災では、浪江町をはじめ、多くの地域が原発事故の影響を受け、今もまだまだ復興には程遠い生活を送っておられます。現状、かなり厳しい。
また、多くの過疎化していた町村では、過疎化に拍車がかかり、非常に厳しい状況にもなっています。13年経過し、町や村、社会がどのようになって来たのか、そろそろ社会学的に検証して整理してもいいのではないか、と思ったりもします。朝日新聞の一面見出しには、進んだ復興事業と人口減に歯止めがかからない現状が踊っていました。
今回の能登半島地震でも、過疎化が進んでいた地域を襲った大地震が、その地域社会に今後とても大きな大きな影響を与えるのではないかと言われていますね。災害が地域社会に与える影響。これは、自然災害列島に暮らす日本人にとって、とても大切な視点。
では、大都市では大丈夫なのかと言えばそんなことはなくて、大都市は大都市で、甚大な被害が予想され、日本という国のありようを変えてしまう事態も予想されます。
大切なのは、「原発は対策しているから事故はない」とか「過去に巨大地震や噴火はなかったから大丈夫」などといった、バイアスのかかった想定をしないこと。それは、今回の能登半島地震で思い知らされたと思う。いや、思い知らされんといかんと思います。
3.11の朝。あの日は、田んぼに水を張っていた。そろそろ春を迎える季節。あれから13年経つけど、今朝もまた、どこかの田んぼには水が張られているんだと思う。今朝の太平洋は穏やかに、静かに。でも、津波はこの方角からやってくる。この平和な風景も、いつ、どうなってしまうかわからない列島に暮らしている、という事実は噛み締めておきたい。