土佐藩家老・加賀野井家(桐間家)領知跡の史跡を歩く〔7599〕2024/02/04
2024年2月4日(日)曇り
土佐藩で家老職を務めた、桐間家という名家があります。今から21年前、このにっこりで少し解説している桐間家。近江佐佐木氏に仕えた加賀野井氏を祖とする一族で、若狭高浜で山内一豊さんに仕えることになったことから、一豊土佐入国に従って土佐へ。そこで姓を「桐間」に変えて幕末まで土佐藩で要職を務めることになりました。
明治維新を迎え、姓を、元の加賀野井に戻しています。その加賀野井家の土地である山を切り拓いてできたのが、加賀野井団地。それにより、秦小学校の児童数が増えてマンモス校となりました。そんなこんなでできたのが、一ツ橋小学校。僕が小学生の頃の話。1960年代の航空写真を見ると、造成中の団地の様子が見て取れます。
21年前に、できてから30年経つと書いてるので、今ではもう50年。完全に世代交代が完了した団地でしょうか。
秦史談会という会が、あります。こないだ、ちょっと触れました。最近、その運営を引き継いでくれる人物が登場し、明るい未来が見えてきた、秦史談会。今日は、その地域調査がありました。時間があったので、僕も参加してきました。題して「土佐藩家老・加賀野井家(桐間家)領知跡の史跡を歩く」。
午前中、地元の方のご案内で、加賀野井家の跡地(楽水寺)などを巡り、午後は、地元の古老に戦後の加賀野井家についてお話を聴く、という素敵なスケジュール。僕がひとりであちこちたつくって妄想するのとは違い、ちょっと、かなりアカデミックなものになりました。大切な歴史資料として後世にキチンと残していく為の、調査ですきんね。
それにしても、面白かった。地元の皆さんに、「昔はここに○○があった。こんなお祭りをしよった。」みたいな話を聴くのは、本当に面白い。また、皆さんよく覚えてらっしゃる。すごい。
加賀野井家のお屋敷があった場所の話や、加賀野井家の方々の話、団地造成時の話や、昔の風景習俗の話。面白いし、後世にも伝えていきたい話がてんこ盛り。加賀野井団地もMS団地も、ぜんぶ加賀野井家の山だった話とか。
ここは薬神社。ご祭神は、あの説明版には大巳貴命、少彦名命と書いてるけど、あれは明治になって神社についての資料を提出せんといかんなった際、適当に書いたものだそう。みな、クスガミ様と呼びよった、とのこと。背後に巨岩があって、どうやら古墳。そんな、地域の産土神でした。
この手水鉢の下は、実は、井戸なんだそうですね。このおじさんたちが子供の頃、ここで肝試しをやって、この井戸の中に入って、通る人を脅かす役目をやったりしたとか。井戸に入っちゅう方が、怖いよね。
といった、有意義な時間を過ごさせて頂いた日曜日。ゆっくりしてます。