戦後復興市営住宅〔7600〕2024/02/05
2024年2月5日(月)小雨
昨日の、秦史談会主催による加賀野井家領知探索。色々と興味深いことがあり、勉強になったし楽しゅうございました。詳細については、次号の「秦史談」で、諸々掲載されると思います。
実家の近所なのに知らんかったことだらけ。加賀野井団地ができる以前から、宇津野界隈で暮らしてこられた皆さんの話は面白いねー。そして、今も地域の中に強いつながりがあることがわかりました。昔ながらの、強いつながり。地域の紐帯。
昨日ご紹介した薬神社では、夏祭りや秋祭りが、今もちゃんと行われてます。参加しやすいように第二土曜日にした、と言うてました。そして12月の第二土曜日には「増神事」。地域の方のお話では、お酒、おきゃくが好きな人がおって、夏と秋だけじゃつまらんので年の瀬にもやることになったのが「増神事」とのこと。なるほど。それだと、楽しい。
戦後の農地改革で、加賀野井家の土地が開放されました。今の加賀野井団地やMS団地は、農地改革の対象にならんかったので加賀野井家の持ち山のままとなり、そこが一括で団地として開発された、という歴史があります。
そういった団地ができるずっと前、終戦後、宇津野地区で、宅地開発が始まりました。昨日の地元の方のお話では、昭和24年頃から。この界隈に、市営住宅が建設され、新しい人たちが住むようになりました。戦後復興の一貫だったのでありましょう。ここに、この国の戦後復興期における住宅政策の概況が書かれています。最初は、元兵舎や工場の寄宿舎、倉庫、空き家など、利用できるものは何でも利用できるようにした緊急措置。次にバラック建設。そして、運用を柔軟にした土地区画整理事業で、宅地を開発する。そんな施策の中で、高知市も、あちこちに市営住宅をつくったのでありましょう。
もちろん当初は賃貸。その市営住宅の払い下げが始まったのは、加賀野井団地ができる頃だった、と、昨日、地元の方がおっしゃっておられました。
今はもう、当初の市営住宅はほとんどが建て替わっており、残っているのは2軒だけだそう。そのうち1軒は、かなり改築されてます。が、もう1軒は、戦後の建設当時の姿を今に残してたたずんでおりました。今はもう、人は住まわれてないですが、戦後復興期の雰囲気を今に伝える貴重な建物。今日、市内北部に用事があったので、今一度撮影してきました。
家の外には、井戸。使える言うてました。当初、2軒に1つ、井戸が掘られていたそうで、今も結構残っているそうです。
市街化が進んでも、そこには、昔ながらの暮らしがあり、つながりがあり、歴史があるのでした。