久々の鉢伏山、戦争の痕跡〔7591〕2024/01/27
2024年1月27日(土)晴れ!
良いお天気の、土曜日。1月ももう、27日。はやいねー。こないだお正月やったのに。
今朝は、会社で仕事や掃除をした後、鉢伏山界隈へ走りに行ってました。久々の鉢伏山。稲生の石灰山の北側で、戦争末期に本土決戦の陣地が構築されていたという山。幾度かこのにっこりでもご紹介してます。
今朝登り始めたのは、ここ。岩屋の薬師寺さんの参詣路。で、標高167mの岩屋寺観音堂まで一気に駆け上がる。駆け上がる。自分としては駆け上がっているのであるが、他人から見たらそうは見えんくらいのスピードやけど、駆け上がる。ふうふうぜえぜえで、キツかったです。かなり、キツかったです。
岩屋寺観音堂は、チャートの巨岩に立てかけるようにお堂が建てられてて、「岩屋寺」という名称が巨岩振興からきてること、わかります。この山、チャートの巨岩だらけ。
で、観音堂から鉢伏山のてっぺんへ、また駆け上がる。途中、チャート巨岩に建てかけられた大山祇神社と石鎚神社が鎮座ましますが、どんどんと荒れ果てていきますねー。このまんま、朽ちていくんだろうか。
鉢伏山頂から北へ少し下った界隈。この十字の場所界隈。ここでは、今もたくさんの戦争遺跡を見ることが、できます。太平洋戦争末期、関東や九州と並んで、四国にも米軍が上陸してくることを想定して、陣地が構築されたのでした。この山の上からは、太平洋、海軍航空隊飛行場、海岸線などを一望することができるので、対上陸昨年の重要なポイントだったのでありましょう・
以前にも少し紹介したことあるけど、今日は、少し時間があったのでじっくりと探検してみました。いや、ここはすごい。たくさんの蛸壺壕や、交通壕。それに、大きな竪穴の壕や、山腹に掘り進んだ壕。一人での探検なので、あまり危ないことはできんかったけど、ひょっとしたら山の南に向かって坑道もあるのかも、知れません。
この地図見ると、交通壕がこの谷筋に延びているので、錦兵団師団司令部直轄の重要な拠点だったのかも知れません。これは、一度、きちんと発掘調査してもらいたいねー。
以前、この鉢伏山から東に延びる向山で、南北に貫かれた77mの坑道などの戦争遺跡を見学に行きました。あのような坑道、ひょっとしたら鉢伏山にも存在したのかも知れないね。
向山戦争遺跡については、このような立派な報告書が作成されています。鉢伏山も調査して、本土決戦に向けて陸軍は何を考え、どうしようとしていたのかを究明して欲しいねー。
写真は、鉢伏山にたくさん掘られている「交通壕」のひとつ。いくつかの拠点を結ぶ塹壕、交通壕。それは、途中までしか掘られていなかったりも、します。陣地構築中に終戦となったのか。
兵士がシャベルで掘り進む息遣いが聞こえてきそうな、そんな壕がたくさん存在する、鉢伏山。