ついこないだ〔7571〕2024/01/07
2024年1月7日(日)晴れ!
昨日は、お街で、高校の同級生達と飲んでました。皆、還暦すぎて年相応。ああ。こないだまで高校生やったのに・・・
若い方々にはわからんと思うけど、「こないだまで高校生やった」という感覚は、大袈裟ではありません。久々に会って話したりしていると、完全にあの頃に戻ってしまうし、なんなら明日、高校へ通学できそうな感じ。実際には半世紀近く前の話やのにね。
90歳を迎えた母の話には、女学校時代の話がよく出て来ます。それも、ついこないだの話のように。人間の感覚って、そんなものなんでしょう。数十年なんか、あっという間。
ここは中央公園の北側、帯屋町1丁目アーケードの入り口。中央公園入り口横に、交番が見えます。思い出すのは丁度半世紀前。小学校5年生、6年生の頃。あの頃、追手前小学校の生徒の多くは、蓮池町通り電停近くの薬局の2階にあった「小林塾」という学習塾に通っていました。2階の座敷に座卓を並べて、50人くらいの生徒が毎日毎日勉強していた学習塾。
授業が終わるのが夜の9時。で、僕らは自転車で連れ立って帰宅する訳やけど、その途中でよく立ち寄っていたのが、ここ。その交番の手前のところに、軽のワゴンが停まっていました。ホットドッグ屋さん。
今なら、洒落たキッチンカーとかをよく見かけるけど、あの頃にはそんなものはなくて、古びた軽のワゴンを改造したホットドッグ屋さんでした。
一番安いのが「キャベツ」。そう。具は、キャベツだけ。手際よくマスタードとケチャップをパンに塗り、キャベツを挟んでオーブンに入れる。焼き上がったのは、焦げ目がパリッとしたホットドッグ。もちろん「卵」とか「コロッケ」とか、全部乗せの「スペシャル」とかもありました。
今も思い出す、あの、ちょっといかつい感じのおじさんと、キャベツの味。あれがもう半世紀前ですきんね。いやはやまったく。
帯屋町に1丁目2丁目ができたのは昭和47年のこと。丁度、僕らがここでホットドッグを食べていた頃だ。我が物顔で、夜のアーケードを自転車で走り回っていた頃だ。あの頃の帯屋町は賑やかで、同級生の多くが店舗の上に住み、子供も多かった帯屋町。それも、僕らの感覚では「ついこないだ」。
帯屋町の成立は、文書証拠によれば元和五年(1619年)以前のこと。藩政期初期。ここには表間口5間を超える大きな町家が10軒以上あり、その代表的な商人が「帯屋勘助」で、町名はその名前に因む、みたいな話は有名。明暦以後に完全に武士の町となり、明治になってから、再び町人が住むようになった帯屋町。
もし、帯屋勘助さんが生きていたら、ここで商売をしていたのも「ついこないだ」という感覚になるのかも知れませんね。
地球の営みの中では、人類の所業なんて、あっという間の話。
そんなことを思う、日曜日未明の、帯屋町。