地震と地学と石活〔7569〕2024/01/05
2024年1月5日(金)晴れ
能登半島の救援活動が続いています。道路が分断されていて、いまだに孤立している集落もあるとのこと。一刻も早い救援、復旧を願います。
こういった大地震が起きると、その原因について、専門家からいろんな意見が出されます。それについては昨日も書きました。近年の日本では、地学に対する関心が結構高まっているので、そのメカニズムを注視している方も多いんではないでしょうか。地学への関心の高まりについては、タモリさんの功績、大きいと思います。
そんな地震学といった地学とは別に、「石」についての関心も高まっていますね。今朝の高知新聞。
地球のかけらを探しに
自然楽しむ「石活」人気
という見出し。なんでもかんでも「活」を付けるのは近年の傾向やけど、とにかく「石」。近年、石に対する関心が高まっていて、廃鉱ツアーや石の鑑賞会などが開催されている、という記事。なるほど。確かに最近、石マニアの肩身が少し広がってきたような気も、するような気も、します。
鉱物というのは、昔から人類にとって重要なものであり、高度に研究され、活用されてきました。かつて、大学の理系でトップクラスに優秀な者の多くは鉱山学科に進み、鉱山技術者となったと言います。例えば、かのポアンカレ予想で有名な数学者、アンリ・ポアンカレも、最初の仕事は鉱山技術者。微分積分法を確立したライプニッツも、鉱山技術者。
日本の鉱山の歴史を見てみると、太古の昔から、有能な技術者が活躍していたことがわかりますよね。鉱山は、国力に直結するから。
高知で思い出すのは白滝鉱山。このにっこりでは幾度も幾度も幾度も触れて来た、思い出の白滝鉱山。
寛文十二年(1672年)に発見され、元禄十二年(1699年)から本格的に採掘が始まり、昭和47年(1972年)に閉山になるまで、450万トン以上の粗鋼、5万トン以上の銅を産出したと言います。1000人以上の従業員が働いていたという大規模鉱山。昭和47年に閉山になった折には、417戸、1960人が山を降りました。
その後、鉱山は大川村に払い下げられ、いろんな試みが行われてきました。僕が覚えているのはトマトの水耕栽培。今は、はちきん地鶏やったりしてますね。
今朝のこの記事を読むにつけ、あの誰もいなくなった白滝のゴーストタウンや、廃坑を残しておいたらなー、などと思うのでした。ひょっとしたら大きな観光資源になっていたかも知れません。
閉山当時は、そんなこと思いもよらない時代だった。目指されたのは「新しい取り組み」。世の中の価値観がどのように変わるのかは、なかなか読めなかったでしょうねー。
初めてヒッチハイクで閉山数年後の白滝を訪れた、高校生の僕は、朧げながらその価値に気付いていた気がします。いや、そんな気がするけど気のせいかも知れません。
世の中がどうなっていくのか。価値観がどう変化していくのか。それを読むのは難しいけど、それを読むことが、重要だと思う。目の前だけに囚われていると、恐らく読めない。そんなことを思う、2014年のお正月。