1月2日の羽田空港〔7567〕2024/01/03
2024年1月3日(水)曇り
昨夜も驚きました。一昨日の地震でもそうでしたが、最初は情報が錯綜して、何が起きているのかよくわからなかった羽田空港での事故。「滑走路で火が見える」から始まり、「胴体着陸して炎上」といった速報も流れ、そうこうしているうちに、旅客機が炎上している映像が流れました。あの映像を見ていた全員が、「なんとか無事脱出しておいてくれ」と念じていたと思います。乗客全員が全員脱出した、というニュースは、皆をホッとさせました。しかし、海上保安庁の方では多くの犠牲者が出ており、残念でした。
海上保安庁の飛行機は、物資輸送で新潟へ向かう予定だったとのこと。すべてが、一昨日の地震からつながっている。大地震の被害も徐々に明らかになってきていますが、まだまだ救助活動は続いています。雨が降り、寒くなる時期。心よりお見舞い申し上げます。また、皆さんのご無事をお祈り申し上げます。
この正月に、と、皆が思っている今回の大災害。災害は、人間の都合とかには全然関係なく襲ってくる、という事実を、南海トラフ地震を控えた僕らに突きつけています。
さて。ここは椿山。つばやま。愛媛との県境に近い、山間の集落。以前にも書いたように、ここは、昭和40年代まで焼畑が行われていたことで有名。標高600mを超える山の斜面につくられた集落は、平家の落人が住み着いたことに始まると言われています。仁淀川の支流の土居川の支流の大野椿山川上流で、平家の遺物を収納したという仏堂を中心に、村民の強い団結が見られる、と、昭和61年角川書店発行「高知県地名大辞典」に書いています。
明治24年の人口は、248人。焼畑で栄え、大きな神社もあります。
しかし、人口はどんどんと減少していき、僕が初めて訪れた2015年には、常在人口はNさん1人になっていました。集落はあるのに。Nさんにお聞きすると、週末とかには、街で暮らす出身者が帰ってきたりしている、とのことでした。
そのNさんも、ご高齢で椿山を下り、常在人口0人に。その後、一人の男性が帰って来て住むようになったという話を、テレビでやっていました。
歴史を勉強しているJr.2号が正月で帰省しており、その希望もあって、今日は椿山へ。椿山で家を借りて時折住みにきている有名な外国人、Jさんにお会いしました。なんとなく、あちこちで人の気配がする、お正月の椿山。嬉しいねー。
さて。このお正月は、大自然の強大な力を実感することになりました。
ここは、過酷な自然環境の中、繰り返す自然災害をくぐり抜けて数百年間栄えてきた、椿山。つばやま。
日本という国の、これからの姿を考える人は、椿山へ行ってみて欲しい。そんなことを思う、お正月。