深淵城と佐伯文書〔7551〕2023/12/18
2023年12月18日(月)晴れ
ひやいね~
今朝の高知市、南国市は、氷点下になるかならんかの朝を迎えています。こないだまでがヌク過ぎたので、寒気が身体に沁みわたる。まあ、これが、普通の年の瀬。
ここは物部川。西岸の蔵福寺島から、夜明け前の物部川を撮影してきました。三宝山頂にはランドマークのシャトー。ここは瀬になっていて、このすぐ下流に、街道の渡しがありました。対岸は深淵。界隈が深淵郷で、その中心に深淵城。その深淵城の場所は、ここではないか、みたいな考察を、地形から想像したことも、あります。
その深淵城、その考察の際にも書いたように、南北朝合戦の時代、南朝方のお城であったけど、北朝方の堅田経貞軍によって陥とされた、といいます。
さて。その話は、佐伯経貞軍忠状の文章に出てきます。いわゆる「佐伯文書」。豊後、佐伯庄の地頭、佐伯氏の後裔である堅田氏が鎌倉期に土佐へやってきて、高岡郡津野庄の荘官となる。で、津野氏の被官として南北朝期に活躍したとのことで、そのことが記されているのが「佐伯文書」。中心となるのが堅田小三郎軍忠状で、堅田小三郎は、佐伯経貞なのであります。
土佐の南北朝合戦についての資料はとても少なくて、この「佐伯文書」が、最重要資料として研究者にも重宝されています。例えば、高知城の下にも大きな碑がある、大高坂山を拠点として北朝方と戦った南朝方の英雄、大高坂松王丸の話も、「佐伯文書」が出典。
さてさて。その「佐伯文書」が偽書ではないか、という話があります。
実は、「椿井文書」に代表されるように、日本にはたくさんの「偽書」が存在します。特に「椿井文書」は巧妙で、色んな他の文書と整合性が取れるようにつくられていて、嘘と真の境目がわからなくなっているすぐれもの。本職の研究者も、この椿井文書を利用しての研究をかなり行っているので、どんどんと嘘が広がってゆき、それが市町村史に取り入れられ、果ては観光名所になっているケースも多いとされてます。例えば大阪府指定史跡「伝王仁墓」とかね。これ、元を正せば椿井文書の「嘘」なんだって。で、土佐では、高岡郡の「八幡荘伝承記」が偽書として有名なんだそう。
古い文書などは、その体裁だけで、本物と信じてしまいがち。ですが、「なんでも鑑定団」観てたらわかるように、古来、偽物をつくることにかなりの精力を注いできているのが、人類。なので、歴史を語る場合、本当に注意が必要なんだそう。僕も、手元の書籍などを頼りに、まことしやかに色んなことを書いてるけど、その書籍に書いていることがもし間違っていれば、このにっこりひまわりを読んだ方によって、その間違いがどんどんと広がってゆくことになる。そんなメカニズムで、古来、最初のちょっとした嘘が真相のように流布してゆく、という現象が起きてきたのでした。
さて「佐伯文書」。もし「佐伯文書」が偽書なら、僕の知っている土佐の南北朝史は大きく書き換えられることになります。しかし、近年の高知大学の研究会で、本物の可能性もちゃんとあるっぽい、という学会報告があったやに、聞いてます。さて。真相やいかに。
などとややこしい考察をするには、年末は忙しすぎる。さあ、そんなことより仕事仕事!