11年振り、大山祇神社〔7545〕2023/12/12
2023年12月12日(火)曇り
昨夜は仕事で松山泊まり。夜は、お客様と一番町、二番町で過ごし、ホテルへ帰り着いたのが午前0時30分。いやー、楽しゅうございました。松山の夜は、流石に四国一の賑わい。
そんな訳で、普段、松山に泊まると朝は走ったりするのに、走れなかったのでした。せっかく靴もウェアも持ってきてたのに。
で、朝、松山を車で出発して本州方面へ。ここは、しまなみ海道の途中、大三島に鎮座増します大山祇神社。なんか、久しぶり。
大三島に来たのも6年振り。2017年10月、「しまなみウォーク」に参加して歩いて以来。しかもあの時は、大山祇神社には寄ってないので、大山祇神社をお参りするのはなんとなんと、11年振りになるのでした。そんなに来てなかったのか。いや、ビックリ。11年振りの大山祇神社は、まったく変わらぬ風情で、厳かに佇んでおられました。
以前にも書いたように、その縁起は、神武東征に由来します。神武天皇が九州の日向から大和盆地へと向かう途中、神武天皇の曽祖父である瓊瓊杵尊の奥さん、木花咲耶姫のお父さんである大山祇神を、この島に祀ったことに始まる、という伝説がある古い古い信仰の場所。神武天皇の先駆者として、瀬戸内海を導いたのが、大山祇神の子孫である小千命(おちのみこと)だったので、大山祇神をお祀りすることになった訳だ。
こうやって地形を見てみると、フィリピン海プレートの動きの賜物であることが一目瞭然。まず、フィリピン海プレート北上によって、東西方向のシワシワができる。それが、今から300万年前に、太平洋プレートにぶつかった為に西向きの成分が加わり、南北方向のシワシワができる。そんなことでできあがった、尾道と今治を結ぶ島の列。
瀬戸内海の要衝となり、この島々を支配する者が、東西交通のキャスティングボードを握ることになるのは、この地形見たら、一目瞭然やね。
そして、長い長い歴史の中で、大山祇神社は、地神、海神兼備の大霊神として尊崇され続けてきたのでした。楠の古い古い巨木が、その歴史を感じさせてくれます。
こないだ、小村神社の国宝、金銅荘環頭太刀が工芸品としての国宝であること書いたけど、なんと、大山祇神社には、工芸品としての国宝が8点も。なかなかにすごい、神社。
しまなみ海道ができて、車で気軽にお参りできるようになった、大三島の大山祇神社。なのに、なんと11年振り。
瀬戸内海の島々は花崗岩の島。今日は、大山祇神社参道に、花崗岩である大島石の板を敷く工事、やってました。