絶海池、満月、オリオン座〔7532〕2023/11/29
2023年11月29日(水)晴れ!
昨夜は会社から自転車で帰ってたので、今朝も自転車での出勤。なんか、久々で気持ちいい。手足の先が冷えて痛かったけど、冷たい風の中でも自転車漕ぐと、身体は温まってきます。ここは五台山の北側、絶海。「絶海」と書いて、「たるみ」と読みます。
この、明治40年の地図を見ても、絶海。タルミとふりがなが振られてますねー。この十字の場所から西方、まん丸お月様の方角を撮影しました。左端にオリオン座も見えてます。冬やねー。
こないだ登った葛島は、この北。明治40年の地図では、絶海池と葛島の間に「葛島池」というのも見えていて、葛島が島だった頃の風景を彷彿とさせてくれます。昭和21年の南海地震の際には、これらの池や周辺の井戸は塩水になってしまい、わずかに葛島の辺りだけ、真水が湧き出たと言います。この東側には昔から湿田が広がっていたので、塩水には苦労したことでありましょう。
「絶海」という地名は、西側の浦戸湾の海水とは遮断された真水の池であることを示しているのでしょうか。堤を築き、浦戸湾の海とは隔絶しているから、絶海。田舟が行き交う湿田の風景は、僕が子供の頃の区画整理事業でなくなり、今は昔。
この左手の五台山の麓には、かの夢窓疎石の弟子にして、五山文学の双璧と謳われた絶海中津和尚の坐禅の石が、あります。チャートの巨岩。「絶海中津」は「ぜっかいちゅうしん」。この和尚と絶海池の名前との関係を、以前、考察しました。真相は、まだ、調べてません。
あの時の想像以外にも、実は、いろいろと妄想してます。例えば。
藩政期の絵図を見ると絶海ではなくて「樽見村」という文字になっています。なので、そもそもは樽見やったけど、同じく五台山麓、吸江庵を再興したという絶海和尚をリスペクトして、絶海という字を当てた、という妄想。
昔から湿田の為に海水と隔絶する堤と真水の池がつくられ、絶海となっていた。五台山の向こう側の吸江庵を再興したのも同じ「絶海」和尚。これはこれは、ということで、いつしか、絶海近くのチャートの巨岩で絶海和尚が坐禅したという伝説がつくられていった、という妄想。
実は最近、中公新書の「椿井文書ー日本最大級の偽文書」という本を読んでて、伝説や由緒が偽作されていくメカニズム、わかってきました。なので、今までこのにっこりに書いてきたような歴史の話の中にも、いろいろかいろあるんでしょうねー。
それはともかく、夜明け前の美しい絶海池と満月とオリオン座。明後日からは、はや、12月。