やなせ少年とごめん町〔7519〕2023/11/16
2023年11月16日(木)晴れ!
後免町商店街。ここは今、ここで幼少年期を過ごしたやなせたかし先生にちなんで「やなせたかしロード」と名付けられている話は、こないだ書きました。その商店街の真ん中に「後免町防災コミュニティセンター」があり、その前に立つ、アンパンマンとバイキンマン。この商店街には、アンパンマンのキャラクターがたくさんん並んでいるのは、みなさんご承知の通り。
この商店街が「やなせたかしロード」になったのは2009年のこと。その際に、キャラクター像が設置されたんですね。で、そのコミュニティセンターの壁に、その経緯が書かれています。そして。
その横に、やなせ先生が「ごめん町」に対しての温かい想いを吐露した文章があるの、ご存じでしょうか。2004年に高知新聞に連載された「人生なんで夢だけど」から抜粋された、温かい文章。この際なので、少し長いけど、文章途中からをここに転載しておきます。
以下転載
駅はJRの「ごめん駅」と土佐電鉄の「ごめん町駅」の二つあって、これは少し混同されやすいですね。土佐電鉄の方を「ありがとう駅」にすればいいと、ぼくは思っていますが。
一つの町に二つの駅がある。田舎町ではあるが将来発展するに違いないと推測して、伯父の寛は後免町に内科・小児科の柳瀬医院を開業します。しかし、町は全く発展しませんでした。今も昔も小さな町で、商店街のシャッターはほとんどおろされたままです。
柳瀬医院は町の中心部から少し外れて舟入川を渡ったあたりにあり、隣家が浜田酒店、前が高橋石材店、その隣は製材所で、舟入川を流してきた木材を製材していました。
その隣は原っぱ。柳瀬医院の裏は大部分が農事試験場の畑で、ごめん駅まで続いています。今はそこに民家が立っていますから、駅前町というんでしょうね。
子どもの遊び場としては絶好の地で、田んぼも畑も山もあって、小川では魚とり、蛙を追いかけ、春は菜種とレンゲの花。我が家の庭にも桃、桜。秋はシーレーの花の行列。夕暮れになると山のお寺の鐘がゴーンー。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る」という歌の通りの平均的日本農村風景。幼少年時代をこの土地で過ごせたのは幸運でした。
夕焼けはもの凄く紅く美しく、夜は満天の星が零れ落ちそうにふるえてまたたいていました。月光燦々、砂粒の影も見えるくらい青く染まって、夏は乱舞する蛍。これでは誰でも詩人になる。
伯父であり第二の父である寛は俳句を詠み、俳名は朴城。オートバイにサイドカーをつけて田舎道をぶっ飛ばすから相当目立ちました。多趣味な遊び人でしたが、柳瀬家の長兄として一族すべての面倒をみたのです。
柳瀬医院は町の知的階級(といっても歯医者とか農業学校の先生)のサロンみたいになり、ほとんど毎夜宴会でした。
以上転載
後年のマンガ家にして詩人、やなせたかしは、この環境の中で育まれたということが、よくわかる。素敵な文章です。
アンパンマンのキャラクターや、ごめんなはり線各駅のキャラクターの権利は、すべて、フレーベル館さんが所有しているとのこと。香美市も南国市も、再来年の「あんぱん」に向けて取り組みを始めていると思うけど、この「権利」問題がなかなか難しくて、進めていくのに二の足を踏んでいる人も居る、と、聞きます。ここは。公的な部分、つまりごめん町全体のこととかには柔軟な対応をお願いしたいところやけど、それには県や市の積極的な関与が欠かせんでしょうねー。
せっかくなので、みんなで、一緒に、協力して。それが、やなせ先生の想いだから。