品川、八ツ山橋、幕末太陽傳〔7470〕2023/09/28
2023年9月28日(木)薄曇り
そんな訳で、東京。昨日の飛行機でやって来ました。朝ドラ「らんまん」は今日明日でおしまいやけど、出張と重なってしまった。録画予約はしてるので、帰ってからじっくり観ますね。楽しみ楽しみ。
そんな訳で、東京。今朝も5寺から起き出して、品川界隈をたつくって来ました。主に、旧東海道。旧東海道歩くと、当時の道路計画、都市計画がよくわかるよね。
品川宿で思い出すのは、フランキー堺主演「幕末太陽傳」。今ちょうど、Amazonプライムビデオで鑑賞できるので、観れる方はご覧になってみてください。
そのタイトルバックに流れるのは、「幕末太陽傳」が制作された昭和32年頃の品川の風景。売春防止法施行直前の品川で、まだ「赤線」と呼ばれるものが残っていた品川。
「北品川カフェー街と呼ばれる16軒の特飲店に、従業の接客91名、平均年齢34歳」と紹介されている街の風景が動画で見られる貴重な映画なんですね。
品川宿については、以前にも幾度か書いたことあるので、そちらをご覧ください。
で、今朝の写真は八ツ山橋。箱根駅伝で「新八ツ山橋」がよくでてくるけど、その横、京浜国道の東海道線を跨ぐ跨線橋として架かっているのが八ツ山橋。
八ツ山橋が最初に架けられたのは、明治5年。そう。新橋横浜間に鉄道が敷かれた際、日本初の跨線橋として架けられたという由緒ある橋。で、大正2年、昭和5年、昭和60年に架け替えられているので、今の橋は4代目。
「幕末太陽傳」のタイトルバックに写っているのは3代目、昭和5年の橋、ということになります。隣の京浜急行のトラス橋と似た、トラス橋やね。
今朝の写真に写っているモニュメントは何代目のものかは、ちょっと、わからんかったです。
京浜急行の八ツ山橋は、昭和8年に架けられたものが今も使われてます。映画に写っているのと同じ橋。元々は、京浜国道の八ツ山橋の上を路面電車のように走っていた京浜電車。その頃の京浜電車は、現在のウィング高輪の界隈にあった高輪駅に向かっておった訳やけど、省線電車と道路で隔てられてるのは不便ということで、昭和8年、現在の京急品川駅の場所に移り、この京急八ツ山橋が架けられた、という歴史。
当初の東海道線品川駅は、この写真みたらわかるように、この八ツ山橋のすぐ北側にありました。新橋から品川までは、東海道で栄える街の邪魔にならんよう、離岸につくられた築堤の上を走り、品川宿の手前で賑やかな宿場を避けて西の山裾を走る、というルート。品川駅が今の場所につくられたのも、品川宿の反対が大きかったから、と言いますきんね。迷惑施設だった、鉄道。
品川駅は、リニア中央新幹線の発着駅になる予定。現在、駅前界隈は大きな工事が行われてますねー。「幕末太陽傳」もビックリ。
旧東海道、品川宿。もう赤線は無いけど、往時の面影を感じることができる、いい街。