鉄分の濃い妄想〔7463〕2023/09/21
2023年9月21日(木)曇り
こないだも書いたけど、国鉄時代は、夜中に列車が走るのは当たり前だった。寝台でなくて普通座席でも、夜行の長距離列車が当たり前のように走っていたし。
超絶長距離列車もありました。写真は、交通公社発行時刻表1970年10月号の、日豊本線下り線。この「急行高千穂」をご覧ください。東京駅を11:10に出発して日豊本線経由で西鹿児島駅到着が15:25。わかります?4時間15分で着く訳もないから、所要時間は28時間15分。しかも、ご覧のように寝台列車ではないのであります。座席はリクライニングのないボックスシート。乗り通した人、偉い。この「高千穂」は、門司までは「桜島」と連結されてて、門司で鹿児島本線経由の「桜島」と日豊本線経由の「高千穂」に切り離され、どちらも終点は西鹿児島、という列車。編成表みたら、グリーン車が「桜島」と「高千穂」に1両づつあって、あとは全席自由席。食堂車を入れて合計13両に、郵便車が連結されてます。そう。あったねー、郵便車。当時はまだまだ鉄道で荷物も運んでました。
月日は流れ、いつしかブルートレインもなくなり、今は、夜行列車というのも殆ど見かけなくなってしまった。もちろん郵便車も。で、新幹線。
新幹線の場合、どこを走っているどの新幹線でも、午前6時から深夜0時までの運行となっていて、基本、午前0時から6時までの営業運転は行われてません。知ってました?
その理由のひとつは、夜中に新幹線を走らせることによる騒音・振動問題。そしてもうひとつが、線路や架線のメンテナンスを夜中に実施しなくてはならない問題。この二つの理由で、新幹線の夜行便が無い、ということらしいね。
国鉄時代、まだ夜行列車が全盛だった時代、新幹線も夜行列車を走らせよう、という計画があったことは、あんまし知られてないよね。新幹線が博多まで開通したのは1975年3月で、僕が中学生の頃やけど、その頃の東京ー博多の所要時間は約7時間。これは夜行新幹線を走らせるのには十分な時間。そんな訳で計画された訳やけど、結局は実現せずに、終わってしまいました。
夜間メンテナス問題を解決する為に、夜行新幹線は単線運転で計画されていたそう。で、新大阪と岡山の間ですれ違う計画だったと。相生駅や西明石駅は、そんなすれ違い仕様での駅になっているのでした。今でもね。
博多まで開業したのが1975年で、その年の11月に、昨日も書いた悪名高き「スト権スト」が敢行された訳で、国鉄経営の悪化と終焉に向けた動きが活発化する時代。そんな時代の流れで、結局実現しなかった夜行新幹線。
ただ。今後、例えば東京から博多とかは、飛行機の最終便より遅く出発して始発便より早く着く、というメリットがあるし、東京ー鹿児島中央の夜行新幹線ってのもいいよね。北海道新幹線が札幌まで開通したら、東京ー札幌の夜行新幹線も、アリだ。青函トンネルは新幹線しか通れんので、圧倒的に有利かも、知れない。
そして、新幹線を夜間に走らせるメリットは、貨物輸送にこそあるんではないか、などとも思う訳だ。飛行機に比べて圧倒的に大量輸送ができる、新幹線。夜行貨物新幹線というのは、ひょっとしたら社会を変えるかも、知れない。いや、昨日に続いての個人の妄想です。
貨物駅の用地はどんどんと再開発されて商業用地に変貌していっているのが惜しいねー。ヤマトの物流拠点みたいなターミナルをつくって、小口輸送の拠点として整備する。新幹線と在来線を組み合わせて、便利に開発された車両で荷物を運ぶ。そしてターミナルで、小口のトラックに積み替えて配送する。輸送能力とスピードと、そして環境負荷の小ささで、新しい世の中を創っていくかも、知れない。いや、もちろん個人の妄想です。
こんな妄想を朝っぱらから暴走させるのは、結構、楽しい。