丸の内緑地の近現代史〔7454〕2023/09/12
2023年9月12日(火)晴れ!
なんか、秋晴れ。秋晴れのような爽やかな朝になってしまいました。このところ、晴れたり曇ったり突然ガイに降ったりと、ヘンテコリンなお天気が続いてて、気象台も苦労しておるところでしょう。天気予報はなかなか当たらない。
そんな9月。今朝の高知新聞には「新社屋で本格始働」という記事があり、高知新聞社が新社屋に移転した特集も組まれてました。で、こんなページも。おう。社屋の位置の変遷ではないか。そして、昨日紹介した丸の内緑地の変遷も写っておる。
どうでしょうか。一番上の地図で、丸の内緑地の場所には「武徳殿」。正式には「武徳館」やけど、「武徳殿」とも呼ばれてたとこ、わかります。武徳館は、明治35年(1902年)、大日本武徳会高知支部が建てたもの。大日本武徳会は、戦前の日本で武道の振興、教育、顕彰を目的として設立された財団法人、とあります。単なる財団法人がこんな一等地に施設を建てることができたのは、政府との関係も深かったから。
明治35年、丸の内緑地に建てられた武徳館は2年後に火災で消失。明治39年に再建されてます。昨日のにっこりには、武徳館の後が公会堂になった、みたいなこと書いたけど、間違い。武徳館は戦災で焼けるまで、ちゃんと存在してたのでした。政府の肝入りでね。
そうすると、場所は、丸の内緑地の北側界隈、ということになります。で、明治45年(1912年)に、丸の内緑地の南側界隈で建てられたのが「公会堂」。
あらためてこの地図を見てみよう。上の地図は、1921年(大正10年)の「高知市街圖」。追手門の西側に「武徳殿」があり、その南に三角印。その地図の原図の索引には「高知縣商品陳列所・公会堂」とありますね。そう。「公会堂」だけではなくて「商品陳列所」もつくられたのだ。
真ん中の地図は1926年(大正15年)の「高知市街図」で、北側が「武徳殿」、南西が「商品陳列所」、南東が「公会堂」。なるほど。この3つの施設は並び立っていたのか。
下段は1964年(昭和39年)のもので、これは僕も知っている「中央公民館」がある地図。
こうやって並べると、変遷の歴史がわかっていいねー。ちなみに、昭和10年の市街地図では、「武徳館」「公会堂」「商品陳列所」そして「農業會館」の4つの施設が並び立ってるんですね。昨日書いたにっこりには、そういった施設が順番にできた、みたいに書いたけど、実際はどんどんと追加されていった、というのが真相だ。どうでもいいですか?
高知新聞社社屋位置の歴史を紹介する市街図で、丸の内緑地のことを語ってしまった朝。。高知新聞社さん、ごめんなさい。社屋位置変遷史については、高知新聞を買って読もう!