西屋敷隧道と地滑り〔7448〕2023/09/06
2023年9月6日(水)晴れ!
丁度3年前。土讃線の廃トンネル「秋森隧道」を探検した話、書きました。貴重な貴重な体験。土讃線は、昭和10年、豊永駅ー三縄駅間が開通して全通した訳やけど、その前年明治9年につくられて開通していたのが、秋森隧道と西屋敷隧道。場所は、ここ。現在の土佐穴内駅と大田口駅の間。この地図見たらわかるように、現在、土讃線の上り列車は、土佐穴内駅を出ると和田トンネルという長いトンネルを通ります。このトンネルができたのは昭和29年。それまでの土讃線は、和田トンネルよりも北側を通っておりました。もっと短いトンネル2本を使って。
まずは、3年前に探検した秋森隧道。ここが入り口で、ここが出口。この出口は、今もこんな感じで残っており、3年前の探検は、そこの扉の鍵を開けて入ったのでした。
秋森隧道を抜けると、そこに旧穴内駅。和田トンネルが開通して現在の土佐穴内駅ができるまで、土佐穴内駅は、ここにありました。現在はこんな感じの広い土地。
で、当時の汽車は、この界隈で2本目のトンネルに入ります。西屋敷隧道。秋森隧道よりは少し長いトンネル。そのトンネルの出口は、ここ。そして現在の土讃線のところに、合流する。
今日の写真は、その合流する界隈から西屋敷隧道出口と思われる場所を眺めたもの。向こうの建物の右手、イチョウの樹の下あたりに、西屋敷隧道出口がありました。今は鬱蒼とした樹々に覆われてて、確認することはできません。
西屋敷隧道は、その中が既にかなり変形、崩壊しているらしく、立ち入りはできません。そもそも、和田トンネルが掘られる原因となったのが、「西屋敷隧道の変形」ですきんね。
西屋敷隧道の変形。昭和9年に掘られた西屋敷隧道やけど、使用している内に、内部が変形してきて危険な状態であることが判明。そこは、地盤が緩い地滑り地帯だったのでした。この界隈には地滑りを起こしやすい御荷鉾帯とか、ありますきんね。
そこで国鉄は、和田トンネルを掘ることにした訳だ。西屋敷隧道は、危ない。先日、地滑りとかの専門家である技術者さんと飲んだ話を書いたけど、その方は、この地形図見て「典型的な地滑り地形ですね」とおっしゃっりました。わかりますでしょうか?
僕は、教えてもらいました。へへ。ここ。ここが地滑りの痕跡を残した地形であることを教えて頂いたのでした。なるほど、という感じ。今日の写真の風景が、地滑りの痕跡という訳だ。専門家ってすごいね。
で、秋森隧道の方は、特に危険はなかったけど、和田トンネルルートが開通することで不要となり、昭和29年から69年間、そのまんまの状態で残されてきたのでした。現在は国鉄清算事業団の管理。今もまだ、国鉄清算事業団ってあるんですな。
その秋森隧道の中は、一年を通して気温が約19℃。探検してみたらわかるけど、水は豊富。そんな条件を活用できたらいいね、などと企むおじさんも居て、今後の展開から目が離せません。
今日は仕事で嶺北。せっかくなので、土讃線旧線、西屋敷隧道出口界隈で、その地形を現認してきました。なるほど、という感じ。勉強になるねー。そんなことより、さあ、仕事仕事!