早朝、帯屋町一丁目の風景〔7440〕2023/08/29
2023年8月29日(火)曇り
朝方は雲は多いけど晴れてました。ところが先ほど、突然の雨。結構ガイな雨が急に降って驚いたねー。出勤したときに全開にしていた本社棟の窓を慌てて閉めたことでした。雨はすぐに上がり、西の空に美しい虹。ああ。地球の営みの美しさよ。
写真は今朝の帯屋町1丁目アーケード。商店街にアーケード。突然の雨でも大丈夫で、夏の日差し除けにもなるアーケードは、戦後、あちこちの商店街につくられました。
高知の中心商店街にアーケードができたのは、いつだったのか。このRKCアーカイブのページを見ると、昭和23年頃にはまだ、ない。戦前、帯屋町界隈には、大きな病院や官庁、学校などがあって、今のような商店街の趣ではありませんでした。が、特に戦後の復興期を中心に店舗が並ぶようになり、高知の中心商店街へ。僕は、アーケードのある帯屋町しか知りません。アーカイブ見ると、昭和40年にリニューアル工事が完成しているので、初代アーケードは昭和20年代にはつくられていたのでしょうかね。
昨夜、街で飲み会。時間がなかったので自転車で行きました。で、コンプライアンス重視の観点から、自転車を街に置いて帰ったので、今朝、出勤途中に取りに寄ってたんですね。早朝のアーケードは静か。誰も通ってないアーケードの横に、24時間営業のコンビニの灯りが煌々。
ここ、以前はリブロードというファッションビルでしたね。ストリービューで過去の風景を見てみたらこんな感じ。この角がリブロードで、右手のマツキヨのところはCDショップのデュークさんだった。風景は、どんどんと変わるね。
僕が子供の頃、この角は映画館だった。火事で焼けたけど。で、リブロードになり、今は1階がコンビニの、ホテル。変わる変わる。風景は変わる。
そもそもの江戸時代、ここは郭中の中心で、身分の高い武士の大きなお屋敷が並ぶ町だった。幕末、このすぐ西に、かの吉田東洋さんのお屋敷もありましたですきんね。
しかし、藩政期初期まで遡ると、商人も住んでいた町。2代藩主忠義公の時代、大商人帯屋勘助が居住していたので帯屋町と呼ばれるようになった、と、言います。元和五年(1619年)の、山内康豊(一豊さんの弟ね)銀子借用状の宛所に「おひや町」とあるそうで、その成立はなかなかに、古い。間口5間を超える町屋が10軒以上もあったというから、藩政期初期の中心商店街だ。一豊さん、忠義さんの都市計画では、そういうことだったと思う。その後、どんどんと武家町に変貌し、明暦から寛文の頃(1655-1671)までには完全に商家は姿を消し、完全に武家町になった、帯屋町。
明治維新後、武家屋敷は学校や官庁、病院などに取って替わり、徐々に商人も住むようになって、戦後、高知の中心商店街に発展した、帯屋町。
街は生き物。どんどん変わる。郊外型ショッピングセンターに客足を奪われた感のある中心商店街も、近年、その存在が見直されたりしてます。そうそう。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で重要な舞台となった巨大なショッピングモールのモデルになったモールが、今や廃墟のようになり、映画館とジムだけになっている、という記事を見ました。あの映画見て、日本にもこれからあんな巨大なモールができていくんだろうか、などという感慨を抱いたのも、今は昔。
街は生き物。どんどん変わる。この帯屋町の風景が、100年後にどうなっているのか、誰にもわからない。