高知のラーメン〔7430〕2023/08/19
2023年8月19日(土)晴れ
暑いねー。暑い。善き哉善き哉。まだまだ涼しくなってもらっては、困る。夏は暑いのが、いい。それで世の中は回ってゆくのだ。
ここは天神橋通り商店街にあるラーメン店「丸福」。天神橋通り商店街は、大橋通りと天神橋の間の商店街。子供の頃、毎日毎日毎日毎日通った道。家から追手前小学校へ通うのに通った道。でも「天神橋通り」などという名前は、なかったと思います。
そもそも「大橋通り」が、天神橋につながる通りであることからつけられた名称。なので、「大橋通り」と「天神橋通り」は同じ意味になるので、なんか、違和感を感じてしまうのは僕だけでしょうか。どうでもいいですが。
今日のお昼ご飯、「丸福」に食べに来ました。この店ができてから、もう、20年以上は経つと思います。いや、もっとか。できた当時、高知にはなかった、東京の街中華で出されるようなメニューが新鮮でした。「うまにそば」とか「もやしそば」とか。「そば」とあるけど、ラーメンのこと。濃口醤油を使った関東風のスープや、タンメン風のスープが、高知にはほとんど無かったから、嬉しかったこと覚えてます。
僕らが小さい頃は、ラーメンと言えば中華そば。それしかなかった。近所にあった「百万食堂」には、「中華そば」と「日華そば」がありました。「百万食堂」の「日華そば」は、近年有名な「中日そば」と同じ。うどんのスープにラーメンの麺。おいしゅうございましたね。
で、僕の経験による時系列では、追手筋に「札幌ラーメン」とかなんとかいうラーメン屋さんができて、そこで初めて塩バターラーメンを食べたと記憶します。ただ、豚太郎ができたのもその頃なので、どっちが早かったのかは、定かではありません。どちらにしてもあの頃、中華そばしかなかった高知のラーメン文化に、塩ラーメン、醤油ラーメン、味噌ラーメン、バターラーメンなどが加わったのでした。
サッポロ一番みそラーメンが発売されたのは、調べてみたら1968年。そんなに早かったっけ。小学生の頃に食べたインスタントラーメンは、チャルメラとかしか記憶がないけど。もちろんカップヌードルみたいなものはなかったので、即席メンと言えば袋麺。一番好きだったのは「ナミキンツルラーメン」。この話、前にも書いたね。
高知のラーメン事情の話でした。やはり豚太郎の登場とその存在は大きかったですねー。高知のラーメン文化において、忘れてはならない豚太郎。
この20年くらい、様々なジャンルのラーメン屋が登場しました。今はもう、ナントカ系やらなんやらかんやら、すごい種類のラーメン屋さんがあります。でも。やはり一番好きなのは昔ながらの「中華そば」。そして時々無性に食べたくなるのが豚太郎の味噌カツラーメンと、ここ丸福のもやしそば。今日ももやしそば、食べてきました。
この炎天下、アツアツのもやしあんかけのラーメンを食べる。ああ。なんという贅沢。