後免東町の交差点〔7429〕2023/08/18
2023年8月18日(金)薄雲り
昨日はよく降りましたねー。今朝、雨は上がったけど、今日もまだちょっと降るみたい。もう、ダムにもどこにも「お水」は十分なので、そろそろ晴れて欲しいね。子供たち、夏休みも後半戦だし。
ここは後免。以前にご紹介した、工事中だった後免東町の電停がいつの間にか完成していて、運用が始まってました。朝の電車がやって来た。
朝倉行きの電車が走っているあたりに、以前の後免東町電停がありました。が、この変則交差点の改良工事に伴って、新しくできた安全で立派な停留所。
ところで、Amazonプライムビデオを観れる方は、こちらをご覧ください。大島渚監督のATG映画で、1969年に公開された映画「少年」。この映画は、実際に高知であった子供の「当たり屋」の事件を題材にして制作されたもの。で、高知でロケをしていることから、僕らが小学生の頃の高知の風景を動画で見ることができる貴重なものに、なっています。はりまや橋、土電会館、土電会館の大食堂、帯屋町、日曜市、玉水町などなど。で、その序盤に、主人公の少年の母親が「当たり屋」を成功させるシーンがあります。開始して6分20秒くらいから。そのロケ現場となっているのが、間違いなくこの交差点。1969年頃の、この交差点の動画。当時の航空写真はこれで、まだ、南国バイパスができて間もない頃。
現在の風景と見比べてみると、すっかりと風景は変わってしまってて、時の流れを実感できます。この後、妊娠が判明する母親の代わりに「当たり屋」を始めることになる主人公の「少年」は、計算してみると、ほぼ僕と同い年。
1965年に完成、稼働した弊社南国工場へ、父の車に乗り、この道路を通ってしょっちゅう連れて行ってもらっていました。そんな時代の風景を、「少年」で観ることができます。
後免。幾度も書いてきたように、藩政期初期、執政野中兼山による事業によって成立した町。物部川の水を浦戸湾まで引いて灌漑用水と水運に供した舟入川が完成したのが、万治三年(1660年)。その完成よりも十年以上前、この界隈の稲吉村に、長宗我部の遺臣を集団移住させて新町を創設し、商人や職人移住も促進、商店街を育成する事業を始めたのでした。この、野中兼山の長期計画とその推進には、驚かされます。
ただ、寛文元年(1661年)に方針が変わり、新町を廃止して水田とするために居住者移転の命令が出される。この時の野中兼山さんの意図は、よくわからない。舟入川完成の翌年ですきんね。
しかし。2年後に野中兼山失脚。で、旧来通りの方針が継続されることになって、発展したのが、後免町。
諸税免除で人を集めた町だったので、御免町。元禄の頃に後面町となり、いつしか後免町に。
ここは、藩政期につくられて発展した後免の町の、東端。後免東町。
新しい電停が完成し、また、風景が変わってゆく。