鷲尾山脈に沈む月〔7384〕2023/07/04
2023年7月4日(火)晴れ!
良いお天気。梅雨の晴れ間。湿度も下がって爽やかな朝になりました。今朝、4時半過ぎに出勤してたら、鏡川の向こう、南嶺に赤いお月様が沈むところでした。なんか、すごい感じだったので思わず撮影してしまった。
南嶺は、「角川日本地名大辞典」には鷲尾山脈と書かれ、その鷲尾山脈は、浦戸湾の東の平井山、琴平山から大平山、大畑山、浦戸湾を挟んで宇津野山、鷲尾山、烏帽子山、と連なって仁淀川まで、とあります。
浦戸湾の東と西で、微妙に南北にズレているのを指摘したのは我らが寺田寅彦博士だったと記憶します。これは、フィリピン海プレートの北上に西向き成分が加わった為、という話は、また今度ね。
鷲尾山脈。地形を見るとこんな感じ。山脈の北側は急峻で、南側になだらかな丘陵が伸びているのがわかります。地質図で見ると、こう。仏像構造線が、はっきりくっきりとわかりますねー。以前にも書いたけど、筆山から鷲尾山へと登っていると、南中山を過ぎて仏像構造線の谷から鷲尾山北斜面を登り始めると、突然、石が変わるのがわかって楽しい。それまでチャート主体だった石が、突然砂岩主体になり、仏像構造線を越えて四万十帯に入ったことを実感させてくれるのでした。興味、ないですか?
さて。その「角川日本地名大辞典」では、鷲尾山脈の名前の由来ともなっている鷲尾山の標高を310mと書いてます。僕も、子供の頃から310mと記憶してきました。「角川日本地名大辞典」が発行されたのは昭和61年。
ところが、この地理院地図によると306m。4mも違うではないか。4mというと、かなりの差異だ。などと思いながら高知新聞社が昭和51年に発行した「高知県百科事典」を見たら、なんと290m。これはちょっと、違うやろう。さてさて一体どうしたものか、と、更にネットで、登山関連ではメジャーなサイトYAMAPを見てみたら303m。う~ん。
このYAMAPの鷲尾山の写真では、山頂の標柱に306mと書かれている横に、ページタイトル「鷲尾山(高知県)303m」。なかなか、シュールな絵柄だね。YAMAPがこうやって堂々と表示しているということは、なんらかの根拠のある数字なんでしょうかね。知らんけど。
まあ、地理院地図は国土地理院なので、国的には306mが正式なんだと思うけど、この303mはどこから来たのか。310mというのは何だったのか。そして290mは。謎が深まる鷲尾の標高。
「角川日本地名大辞典」には、こう書かれています。
「山頂からは、浦戸湾・土佐湾沿岸、高知平野、北山の連山などの眺望が開け、低地からも目標として目立つ峰であることから、戦国期には拠点となり、物見烽火場跡も残存する。」
そう。僕が子供の頃は、そうだった。今は、南側の眺望はひらけているものの、北側には高木が生い茂って視界を遮り、高知平野や北山を望むことは、できません。Googleマップのストリートビューで、こんなのがありました。たぶん、ドローン撮影。
かつては、こんな360度のパノラマが広がっていた、鷲尾山頂。いつかまた、290mで303mで306mで310mの山頂から、こんな眺望が復活したら嬉しいねー。