地名濁点問題とマスク論〔7330〕2023/05/11
2023年5月11日(木)晴れ!
良いお天気の朝。この週末はまたお天気崩れそうやけど、5類になって最初の週末はどうなるでしょうかね。
さて、今朝も高知新聞ネタ。なかなか面白い記事があったので。
まず、左手。高知新聞さんで随時掲載されている「地名学で読む日本」。今朝の記事では、地名の濁点問題について書かれておりました。そう。松坂牛は「まつさかぎゅう」で「まつざかぎゅう」ではないし、富士川は「ふじかわ」で「ふじがわ」ではない、といった話ね。これは苗字にも言える話で、高知で山崎はやまさきで、やまざきではないのと同じ系統の話。
そして南国市。南国市は「なんこくし」。「なんごくし」ではない。しかしこれ、高知県民でも、いや、南国市民でもご存知ない方、多いんではないでしょうかね。南国市は、1959年に町村合併でできた市。その際、「気候が温暖で大気が澄み、住民の気質が明朗というイメージ」から南国市と命名されたとのこと。で、これを「なんごく」と読むのは「ごく」が「獄」に通じてイメージが悪い、てな議論があって「なんこくし」になったんだそう。知ってましたか?
しかし高知県人でも南国市のことをわざわざ「なんこくし」と発音する人は少ないと思うので、これはなかなか特殊な例だと言えましょう。つまり、「まつざか・まつさか」問題とか「ふじがわ・ふじかわ」問題とかとは、ちと、論旨がずれる。南国市を「なんごくし」と発音して違和感感じる人は居ないから。
弊社の工場は南国工場で「なんごくこうじょう」。誰も「なんこくこうじょう」とは呼びません。
それにしてもこれ書いてる今尾恵介さんという方、タモリ倶楽部にも出演されている鉄道マニアでもあり、中学生の頃の愛読書が国土地理院の地形図と時刻表というから、僕、かなり親近感を持ってます。
そして右側の記事。「2023年のマスク論」。日本人とマスクの関わり方を、その歴史を紐解きながら書いてます。日本人にとってのマスクは「他者のため」という側面が強い、という話。それはもう、昔から。学校給食の調理場とかでマスクするのは当たり前やけど、その着用のルールがなかった頃(戦後まもなく)から、自発的にマスクを着用していたという日本。なるほど。
で、そんなこんなの歴史から面白いことを考える民俗学者さんの学説を、ここでは紹介してます。コロナ禍の日々は民俗学的な「忌み」そのものである、と。「忌み」とは「ケガレ」を避け、身を慎むこと。日本人はコントロールできない疫病や死の「ケガレ」が身に迫ると、建物の中に引きこもってじっとする「コモリ」などをしてきたそう。で、着用が個人の判断になった今も多くの人がマスクを外さないのは、コロナへの「ある種の『結界』を作っているのではないか」という学説。面白い。
恐らくは今、地球上で、一番マスクしているのが日本人だと思うけど、それをこういった民俗学的なアプローチで説明しているのは、なかなか新鮮でした。
みなさん、マスク、どうしてますか?