浦戸城天守台をたつくる〔7311〕2023/04/22
2023年4月22日(土)晴れ!
そんな訳で、今日も浦戸城。
良いお天気の週末になりましたね。善き哉善き哉。今日は、浦戸まで走ってきました。久々に。最近走れてないので、途中で右膝が痛くなり、歩いてしまった。お陰で、浦戸湾の風景をじっくりまったり堪能できました。いいね。浦戸湾。
浦戸という港は、それはそれは昔から栄えた港。有名なのは土佐日記でしょうかね。紀貫之さん、土佐から京へ帰るに際し、大津の舟戸を出港してから浦戸で一泊し、太平洋へと漕ぎ出していったのでした。
南北朝の時代になると、南北朝合戦の舞台ともなった浦戸。有名な佐伯経貞軍忠状によると、浦戸湊と浦戸城をめぐる攻防だったことがわかっています。やはり交通の要衝として重要視された場所だったことが、わかる。どうやら、全国的にも名の知れた港だった、浦戸。
戦国期になると、長宗我部氏と土佐の覇権を争った本山氏の拠点となって長浜城の長宗我部氏と対峙した浦戸の砦。1560年、長宗我部が本山を破り、拠点とする。で、一拠点に過ぎなかった浦戸の砦に大改修を施し、長宗我部の本城としたのが1591年のこと。
昨日も書いたように、そのお城は当時の先端をいくお城で、中世城廓から近世城郭へ移行する姿が見て取れる貴重なもの。そして、土佐一国を支配した本城でもあった訳で、その重要性はかなり、大きい。
ところが。幾度か書いてきたように、その城址、かなり軽い扱いを受けてきているのは、ご承知の通り。せっかくの遺構が、国民宿舎や記念館などの建設で破壊されたりしてね。それでも、浦戸大橋南詰のところから登っていくと、浦戸城の縄張りを体感できます。今日も、そちらから走ってきました。
そして、龍馬記念館の前にある、天守台。土佐で初めての天守台が、そのまま、残されているのは、嬉しいですねー。樹々に覆われた天守台のてっぺんには城八幡と大山祇神社。丸瓦とか鯱が出土しているので、瓦葺の立派な望楼があったんでしょうな。
そして石垣。天守台の斜面に、石垣の名残と思われる石が露出している、と、昨日のにっこりにも書きました。ので、今日は天守台の斜面をたつくって、その石の露出を探してきたのでした。
写真は、天守台西斜面。確かに、自然石の形状ではないような砂岩が転がっていて、石垣の名残みたいにも、見える。上に大山祇神社が見えてますね。あと、南斜面には、明らかに石を組んだと思われるものを、大きな木の根っこが抱き込んでいるように見えるのも、ある。これは面白い。
やはりここは、この鬱蒼とした樹々を伐採し、今一度発掘調査を実施した上で、史跡として整備しつつ観光客さんにも喜んでもらえる場所にしたいね。などと、急斜面で転がり落ちそうになりながら思った土曜日の朝。
龍馬だけに依存せず、歴史に溢れた素敵な浦戸を見せたいね。