愛宕神社、愛宕山大権現〔7273〕2023/03/15
2023年3月15日(水)晴れ!
全国に鎮座まします愛宕神社の総本社は、京都の愛宕神社。大宝年間創建というから、古い。もちろん火伏せの神様として有名な、愛宕権現。その愛宕さんは、標高924mの愛宕山のてっぺんに鎮座し、修験道との関係も深そう。
江戸の愛宕神社は、江戸の街では一番高い山、愛宕山のてっぺんに、慶長八年(1603年)に創建されてます。こないだ、明治初期に上野の山から愛宕山が見えたと書いたように、その山は江戸のランドマークでもあったでしょう。京の、高い山のてっぺんに鎮座しているのが愛宕権現なので、江戸でもやはり、一番高い山のてっぺんに創建された、という流れが想像できますねー。
家康の命によって、江戸幕府が創立されると同時期に創建されてるので、家康の江戸都市計画の守り神として、強い思いをもって創建されたこと、わかります。
で、高知の愛宕神社。
写真は、高知市の愛宕神社。今朝、久々に、お参りしてきました。この創建は寛永六年(1629年)。山城の愛宕山大権現から勧請してます。江戸の愛宕権現に遅れること、26年。江戸の愛宕山は、海抜26m。高知の愛宕山は、約40m。直線の長い石段は同じやけど、高知の愛宕山の石段の方が長いねー。高知愛宕山の石段は、この十字の場所から登っていて、山の尾根筋の、比較的傾斜が緩い部分を上っているので、江戸の愛宕神社ほどに急峻ではありません。
寛永六年、ここに愛宕山大権現を勧請してきたのは、二代藩主山内忠義公の家臣、仙石但馬守久勝。で、忠義公は、鎮火防護祈願の藩営藩祭の神社として、大切にお祀りするようにしたのであります。防火というのは、当時にとってはとてもとっても重要なミッションだったこと、わかります。
愛宕権現は、山のてっぺんに鎮座し、直線上の石段で上っていく、というフォーマットができてたんでしょうかね。知らんけど。
この社殿の裏手には、諸病治癒、無病延命の「天熊社」が、巨岩が組まれた奥に鎮座まします。その石組みは、古墳だ。愛宕山界隈には4基の、古墳時代後期の古墳がみつかっていて、その古墳もそのひとつ。古墳時代が終焉する時期に、この山の北麓には秦泉寺という大きな寺院ができて、大きな勢力を持っていたといわれます。この古墳に埋葬された人たちと、秦泉寺のと関係は、どうだったんだろう。などと妄想が広がるのでした。
今、愛宕山は、その周囲を宅地やマンションに囲まれてます。が、参道石段と神社の周辺は、今も、江戸時代初期の、いや、古墳時代の趣きを感じさせてくれる、杜の中。