珪石の山〔7272〕2023/03/14
2023年3月14日(火)晴れ
このところの陽気のせいで、今朝は寒かった。ひやかった。三寒四温の春の朝。早朝仕事を済ませた後、市内へ向かう途中、この写真撮ってきました。撮影場所は、ここ。潮見台ニュータウン。眼下には伊達野、住吉野。中央右手に、かつて標高54.1mあったという船岡山。以前に幾度も書いてきたように、あの山は外周だけ残して内側は掘り尽くされています。Googleマップで見ると、こう。
あの内側への入り口にる看板には、そこで珪石が採掘されていることが、書かれていますね。
珪石。ウィキで見たら、こう。珪石と言われてもピンとこんけど、チャートと言われたらわかります。ここに珪石の鉱山があったのも、わかる。この南を仏像構造線が走り、ここは秩父累帯南帯。石灰岩層とチャートが特徴的な地層で、この地層が、土佐を石灰の産地に育て上げ、高知城の石垣をチャートの野面積みに仕立て上げたのであります。高知で一番目立つ石は、チャート。あちこちで、磐座として祀られている巨岩のほとんどは、チャート。そんだけチャートが多い高知に、珪石の鉱山があるのは、むべなるかな、という訳だ。
しかも、珪石は、石灰石などと混ぜることでセメントになります。石灰石の産地である高知に珪石の鉱山があるのは、なかなか有利なことであったと思われますきんね。知らんけど。
そんな訳で、空から見たら「皮」しか残ってないような山ができあがったのでした。そもそもは、住吉さんが鎮座まします神様の山。古墳もあって、太古の昔から神様が住む山として信仰を集めた山。今も、住吉神社さんは、山の外周にしつらえられた盛り土の上に、立派に鎮座まします。
珪石って、陶芸の原料としても使われます。高知で、尾戸焼きとかが栄えたのも、恐らくは珪石が豊富だったから。高知城の北側ではじまった尾戸焼きも、高知で産出される珪石が使われたのでありましょう。
以前、藩政期に介良でお米の二期作がはじまった理由に、その近所で採れる石灰が肥料として使えるようになったからというのがあるのでないか、と、考察したことあります。
土佐の二期作の風景も、高知城の美しいチャート野面積み石垣も、そして尾戸焼きも、フィリピン海プレートが南海トラフに沈み込む中でできた付加帯に由来する訳で、巨大地震と大津波をもたらす地球の営みが、同時に、僕らに恵みをもたらしているのでも、ありますね。