みえる みえる〔7274〕2023/03/16
2023年3月16日(木)薄曇り
間に合わせたねー。なんとか間に合わせました。ここは五台山。来月から始まる朝ドラで、観光客さんが増えることが見込まれる五台山。旧展望台が解体され、樹々が伐採されてスッキリしました。もし、朝ドラが牧野でなかったら、ここにはまだ旧展望台の建物が建ち、樹々は鬱蒼としていた、のかも、知れません。
でもあれでしょ?
以前から言うてたように、樹々を伐採するだけで、かなり眺望が開けたでしょ?
そう。この五台山だけでなく、そんな山頂、たくさんあります。昔、里山の木々が燃料や肥料で使用されていた時代には、都市周辺の山頂は眺望が開けていたのでした。
そうそう。昨日ご紹介した愛宕山。あの山も、愛宕神社とその参道の周辺は樹々に覆われて鬱蒼としてます。おそらく藩政期には、あの愛宕大権現が勧請された頃は、高知の城下を一望にすることができる眺望絶佳の場所だったのでしょう。もちろん江戸の愛宕山も、そう。まあ、江戸の愛宕山は、今は高層ビルに囲まれて眺望もなにもないけど。
そこでちょっと、思い出しました。小学校一年生のときの、国語の教科書。一番最初のページは
みえる みえる
だった。昭和36年生まれの僕たちにとって、生まれて初めて見る教科書の最初の文章が、みえるみえる。桜の下、小高い丘から街を見下ろす、そんな絵がかかれていた見開きのページ。
で、こんなブログがあって、「みえる みえる」の次が「はるみさん はい」で、その次が「おおきいな おおきいな」だったと書かれてます。そう。そうでした。懐かしいねー。昭和40年代初期。高度成長真っ盛りの時代の教科書。
その時代と採用した教科書によって、それぞれの記憶は全然ちがうものになります。教科書のバリエーションとか採用の仕方とか、時代と共に変遷してきてます。
よく聞く、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」は戦前の国語教科書の一番最初。これだけ人口に膾炙しているのは、全国的にそれだったから、と思われます。多様な時代に生まれてきて、良かった良かった。
で、みえる みえる。
この右手の空き地に、旧展望台がありました。ロープモノレールの山頂駅、見国停留場。それができる以前には、おそらくはチャートの巨岩が屹立し、そこが「見国嶺(けんこくれい)」という名所になっていたと思われます。山の木々は、もっと少なかったし。
朝ドラ対策で、旧展望台取り壊しが前倒しされ、遊歩道も突貫で整備され、樹々が伐採されて、今までになかった風景が、広がっています。とても良くなりました。
新しい展望台が建つまで、この風景を楽しむことと致しましょう。高知の街が全部、みえる、みえる。