そして12年〔7269〕2023/03/11
2023年3月11日(土)晴れ!
12年目の3.11。あの日のこと。あの時間のこと。12年経つけど、今でも鮮明に覚えています。福祉交流プラザの駐車場で、ガラケーの地震速報が鳴りました。どっかで震度3とかの地震があったんだろうと、画面を見たら。そこに表示されていたのは嘘のような震度。本当に、嘘か間違いだと思いました。そんなこと、ありえん、と。
でも、本当でした。
しかし状況がまったくわからないので、福祉交流プラザで、県関係の会合へ。それでも、15時からの会議は予定通り開催されたのでした。みんな、なんとなく不安な表情で開催された、会議。でも、ガラケーに続々と表示されてくるニュースを見ると、これはもう尋常ではない。ただ、その時は、津波もやってきてないので、仙台とかの建物の状況とかを結構落ち着いて見てたと思う。
どうやら、かなり尋常ではないみたい、ということで会議は早めに終わり、1階のロビーへ降りてきてそこのテレビを観たら。ヘリコプターからのカメラが映す、地表を覆う海の、戦慄の映像。大津波は、こんな風にやってくるのか、とショックを受けたこと、覚えてます。
車でラジオ聞きながら会社へ帰る。電車通りから青柳橋を渡るとき、浦戸湾に、小さいけど波が押し寄せてくるのが見えました。こんな離れた場所まで、津波か。
会社へ帰っても、まだ、状況は詳しくわかってない。ヘリコプターなどの映像からとんでもないことが起きているらしい、と想像するけど、情報は錯綜していて、何が起きているのか正確なことは、わからない。そんな一日だったと記憶します。
被害が判明してくるにつれ、胸のドキドキが大きくなる。原発がヤバいらしいことも、徐々にわかってくる。祈るような気持ちでテレビを見ていました。
あの大被害を知ってから、僕らの南海トラフが引き起こす地震と津波も、とんでもないらしい、と実感のある危機感が湧き起こってきて、慌てていろんなこと考えるようになりました。あの、教訓と言うには大きすぎて悲惨すぎる教訓を、僕らは活かしていかんと、犠牲になられた皆さんに顔向けできない。
今日はあれから12年目。あの日と同じ田んぼ、同じように水を張る田んぼを撮影しました。
不思議なことに、あの日の「にっこりひまわり」には「曜日」と「天気」が書かれていません。このにっこりでは珍しいこと。ひょっとしたら、20年続けてきたにっこりで、あの日だけかも知れません。いつもと同じ平和な朝やけど、その日が特別な一日であることを暗示しているみたいな気がして、不思議です。
そんな日から12年が経った、静かな朝。