あぞの、あぞうの問題〔7256〕2023/02/26
2023年2月26日(日)晴れ
風がエラいねー。高知って春一番はもう吹いたんでしたっけ。昨日モンてきた高知は、結構、ひやい。
そんな日曜日の朝は、ゆっくり新聞。出張中の高知新聞も読まんといかんしね。今朝の新聞では、元京大総長尾池先生の、秀吉、家康、山内一豊時代の地震についての考察が面白かったけど、興味深かったのは、これ。
薊野。高知市民にとってはお馴染みの地名で、土讃線の駅名にもなっているので、知らない人は居ないでしょう。この薊野を、どう読むのか。
行政文書では「あぞうの」とのこと。それに基づいて、鉄道の駅も「あぞうの」になった訳やけど、同じ土讃線の踏切は「あぞの踏切」。有名なトマトは「あぞのトマト」やし、調べた所、若い人はほとんどが「あぞの」と発音する、らしい。なるほど。地名あるある、やね。
このにっこりでも、そんな話題を幾度か取り上げたこと、思い出したのでした。日曜日ですきんね。のったりまったり日曜日。
まず思い出すのは、「梅の辻」「梅ヶ辻」問題。まず、なんで梅なのかについては、こんな感じで考察してて、バス停や電停、住居表示に「梅の辻」「梅ヶ辻」「梅ノ辻」か混在している、という話を幾度も、幾度も、幾度も書いてます。こんなに何回も書いているところを見ると、気になって仕方ないんだね。知らんけど。
次に思い出すのは、「枡形」「升形」問題。電停は「枡形」で、バス停が「升形」になっているのはなぜ?という問いかけをしています。まあ、どうでもいいですが。
あと、「菜園場」「菜円場」問題についても、一度考察しました。これは、「菜園場」が優勢やけども「菜円場」と表記されていた地図もある、という話。ややこしいのはこれを「サエンバ」と読まずに「サイエンバ」と読んでいる地図もあったこと。地図の表記って、なかなか難しいね。どうでもいいですか?
ちなみに薊野。昭和61年発行、角川の「高知県地名大辞典」には、こうあります。
あぞうの 薊野
「あぞの」ともいい、古くは「莇野」の字をあて「あざみの」とよんだ。ー中略ー地名は野アザミの里に由来するという。
なるほど。で、今朝の記事の左下に「姿を消したセンダン街道」という見出し。比島橋から土佐神社までの3kmにずらっと並んで植えられていた栴檀の木が、今では2本になってしまったという記事。これについても、以前、このにっこりで取り上げてます。市街化が進む中で急激に変わってしまった風景について。
時代は変わり、風景も変わる。
「あざみの」は「あぞうの」になり、いつしか「あぞの」が一般的になって、そして、どこへゆくんだろう。
などと妄想しながら、日曜日がはじまります。