激変してきた、羽田〔7253〕2023/02/23
2023年2月23日(木)高知は小雨、東京は晴れ
今日は、午前中の飛行機で東京。本日、Jミルクさんで会合があって、出掛けてます。Jミルクは、かつて「日本酪農乳業協会」という名称でした。全国牛乳普及協会などの団体が統合してつくられました。なので、高知県牛乳普及協会の上部団体という位置付けになりますね。
今朝の新聞にも、日本の酪農の危機についての記事が掲載されてました。廃業する酪農家さんが増えている、という記事。現在の酪農家さんの危機は、酪農家さんに責任はなく、国の施策、大手乳業の意向がもたらした危機でもあると言えるので、ここは行政と大手乳業が中心になって対応を考える必要が、あります。でないと、日本国民の皆さん、安価でおいしい牛乳を安定して飲むことができなくなる可能性もゼロではない。いや、これ、本当。
また、生産者乳価の値上げにともなう牛乳の値上げも実施されると思いますが、ぜひぜひ、皆様のご理解とご愛飲を、心よりお願い申し上げるところでございます。
そんな訳で、東京。昼前に羽田に着きました。通称羽田空港は、東京国際空港。幾度か書いたことあるように、ここは、江戸湾に面した干潟が広がるような、静かで風光明媚な場所でした。多摩川河口の、干潟。そこに築かれた堤防に穴が空いたりして壊れないよう、お稲荷さんが祀られたのも、江戸時代。穴守稲荷さん。
明治になり、地元の有志が社殿を新築し、門前町ができていって賑わいを見せるようになったのでした。花柳界、遊郭の女性の信仰を集めたのは、そのお稲荷さんの名称からなんですね。なるほどなるほど。当時の写真があったりするけど、それはそれは賑やかだった、穴守稲荷。
その穴守稲荷の北側の干潟が埋め立てられて飛行場がつくられたのが、昭和6年のこと。「東京飛行場」。久生十蘭の小説にその頃の風景が出てくる話は、以前にも書いたねー。
で、その頃の地図を「古地図散歩」で表示しつつ撮影したのが、この写真。飛行機降りた、搭乗待合室で撮影。青丸が現在地。そう。当時は海の中やね。競馬場があり、飛行場がある長閑な景色だったと思われます。飛行場と言いましても、たまに、複葉機が飛ぶくらいの素敵な静かな飛行場。
そして、穴守稲荷の南には電車の駅。当時、現在の京急羽田線は、穴森駅が終点。そこで降りると穴守稲荷、門前町、海水浴場、飛行場、それに競馬場があって、東京市民のお手軽リゾート地だったことがわかりますね。
戦後、空港の拡張で穴守稲荷さんは現在地に遷座し、穴守稲荷駅もそちらへ。
でも、羽田空港への乗り入れは、随分後になってから。僕が大学生の頃は、羽田空港への電車はモノレールだけだった。1993年に、やっとこさ乗り入れて、あんなことやこんなことがあって、現在の便利な風景になったので、あります。
今日の飛行機は、満席。うごきはじめたねー、世の中。良いと思います。ここ羽田の姿は明治以降に激変したけど、これからも日本一の空港として君臨していくのは、間違いない。
さあ。今からJミルクだ。