後免の交差点〔7251〕2023/02/21
2023年2月21日(火)小雪
こないだ、これがこの冬最後の冷え込みか、みたいなこと書いたけど、ナニがナニが。今朝、出勤してたら小雪が舞っておるではないか。ビックリしました。明日朝はもっと冷え込むみたい。地球のすることは、想像を超える。
で、会社でひと仕事済ませてから、後免へ行ってました。ここは、後免の交差点。向こうに電車の車庫が見えてます。始発電車が出る前の、静かな静かな車庫。車庫から家を挟んで右側の道路が県道364号線で、野市の方へと向かいます。かつての国道55号線だ。この道が国道で、幹線道路だった頃のことを覚えているひとも少なくなりました。僕は、覚えています。
弊社の南国工場ができたのが昭和40年。本社工場は南与力町に健在で、僕はそこの社宅に住んでました。父親に連れられて、できたばかりの南国工場へ、しょっちゅう行ってました。おんぼろブルーバードか、「宣伝カー」と呼ばれてた派手なデザインのバンに乗せられて、ここを通っていたのは半世紀以上前のこと。
この交差点を左折すると、後免の商店街。天下御免の商店街。野中兼山が、免税の特権を与えることによって人を住まわせ、町場が形成されたという後免町。その中心は、こっから左へ行った界隈だったのでした。
山田堰を築造し、そこから物部川の水を引いてつくられた用水が、舟入川。その舟入川沿いにつくられた後免の町は、物流の拠点としても栄えたのでした。
地形分類図で見てもわかるように、ここは更新世段丘の先っぽ。兼山は、段丘の南麓に水路を開鑿して舟入川としていることが、わかります。
そして、大胆にも、この後免のところで段丘を横切っている舟入川。段丘南麓を迂回するのではなく、段丘を横切らせた意図は、どこにあったんだろう。
兼山先生のこと。そこには深い思慮があったんだと思います。今度、調べてみなくっちゃ。
ともあれ、そのお陰で、後免の街が、できました。そして南国市の中心となり、高知市に次ぐ人口を抱える街となったのでした。もし、野中兼山が居なかったら。
ここが物流の拠点として栄えることもなく、全然違う風景になっていたんだと想像します。
そんな後免の交差点。この交差点はなかなか複雑で、点滅の信号機があって、混雑する時には東西と南北の車が入り乱れて、とても不思議な風景を醸し出しています。そこを、整理するんでしょうかね。
ただの荒地に舟入川が通って町場になり、大きく栄えた後免。国道が通り、殷賑を極めた後免。バイパスができ、人の流れが変わって、ちょっと静かになった、後免。
風景は、どんどんどんどんと変わってゆく。