寅彦と利正と〔7233〕2023/02/03
2023年2月3日(金)晴れ!
節分の今日は、仕事にて高知城界隈に、来てます。
さて。
このにっこりでは、我らが寺田寅彦さんについて幾度も幾度も触れてきてますが、その父、寺田利正さんについてもちょこっとだけ触れています。寺田利正。高知県士族、寺田利正さんは、土佐の維新史の始まりに際して、重要な役回りで登場してきます。土佐藩の上士と下士の対立が一気に燃え上がった井口事件で切腹させられた下士、宇賀喜久馬さんを介錯したのが、宇賀喜久馬さんの実兄、宇賀知己之助さん。宇賀知己之助さんは、その後、寺田家に養子に入り、寺田利正となったのでした。
その寺田利正さんが42歳になってから生まれたのが寅彦で、身体が弱かったこともあって、かなり大切に育てられたと言いますね。どれだけ大切に育てられたかは、このにっこりを読んで頂ければわかると思います。
で、その小津神社以外で寺田利正さんの名前を見ることができるのが、ここ。山内一豊騎馬像の横に立つ「藩祖銅像建設之記」。初代の騎馬像は、ご承知の通り、戦時中の金属回収で供出させられているので、現在の騎馬像は二代目。その初代騎馬像建設の際の発起人の名前の中に、寅彦父、利正さんの名前があるのであります。その経緯についての想像と絡み合う人間関係については、ここに詳しく書きました。
高知は狭い。いろんなところでいろんな人たちが交錯し、絡み合う。田舎の濃密な人間関係ならでは、やね。
で、そのにっこりを読んでて、寅彦の最初の妻、夏子のことなど、思い出したのでした。そのにっこりで触もれている寅彦の有名な随筆「団栗」も、今一度青空文庫で読んでみて、寅彦の儚い悲しい美しい文章を読んでみて、あらためて偉大な物理学者にして文章家の寺田寅彦に思いを馳せたのでした。
寅彦の家は、ここから城山をぐると周った反対側に、ありました。その生家は、今も記念館としてマンションやビルの間にひっそりと美しく、残されています。
激動の時代に、その大波を受けて生きた寺田利正。土佐人には珍しく繊細で儚い文章を描きながら後学に大きな影響を与える寺田物理学を確立した寺田寅彦。
この記念碑が完成したときには、すでに、利正さんは亡くなっていた。そして騎馬像は戦争に供出され、平成8年になってやっと再建される。騎馬像のあった藤並神社も今は無く、その後に建てられた図書館も、公文書館に。時は流れ、風景も変わり記憶も薄れていくけど、石に刻まれた人々の思いは、残されていく。なんて、久々に「団栗」読んだので、なんか、文章が、寺田文学に影響されてしまった・・・