伝御台所屋敷跡と動物園と石垣〔7214〕2023/01/15
2023年1月15日(日)晴れ!
それにしても、ぬくい朝。昨日の朝よりは少し気温も低いらしいけど、ぬくい。今朝、会社でふた仕事ほど済ませてから、高知城の梅の段へ駆け上がってみたけど、さすがに梅は、まだまだでした。これっぱあぬくいと梅も勘違いしてないかと思うたけど、さすがに、まだ全然。
写真は、梅の段から下りてくる坂道。左の石垣の上が梅の段で、右手が「伝御台所屋敷跡」。この大高坂山でも、特に重要な遺構が発見されているエリア。エリアやけど、僕らにとっては動物園でお馴染みの、エリア。昭和25年から平成4年まで、つまり1950年から1992年までの42年間、ここに高知市立動物園があったことを記憶する人も、段々と少なくなってきました。動物園なのに、山羊とかニワトリみたいな動物も居たりして、なかなか不思議な雰囲気やったよねー。
で、「伝御台所屋敷跡」。この名称からも、江戸時代、山内の殿様がお城を築いてから「御台所屋敷」が作られていた、と想像される訳やけど、発掘調査からは、まだ、その証拠となるようなものは出てないと言いますねー。そしてこの場所が重要なのは、15世紀~16世紀、つまり戦国期の遺構が遺物を伴って出土していること。この山、長宗我部元親が一時期居城にしたのは有名やけど、その際の建築物と思われます。いや、長宗我部と本山の合戦までは、ひょっとしたら本山氏も使っておったのかも知れんけど。
そして。戦国期以前のものとされる石鍋などが出土してます。この山、南北長合戦の頃に、南朝方についた大高坂松王丸が本拠とした、とされていて、その居館があったのが、この界隈とも言いますきに、ひょっとしたらひょっとする。今一度、詳細な発掘調査をして欲しいねー。
こんなにも身近で有名な場所やのに、結構、その歴史はわかっていない。1995年の発掘調査、つまり、動物園がなくなってからの発掘調査で、建物の廃材などが出土してて、その廃材が、廃藩置県の際のものなのか動物園建設によるものなのかもわからない、という始末。昭和25年に動物園をつくる際、ちゃんと発掘してれば楽しかったのにね。でもまあ、その頃は、そんな余裕はない時代。戦後復興期、お城の山に動物園ができたことは、高知市民にとって平和、復興の象徴だったのかも知れんし。
左手の石垣。チャート主体の野面積み。その角っこの曲線など、非常に美しい。僕は、「伝御台所屋敷跡」界隈から見上げた石垣の風景が、一番好き。幾層にも折り重なって見える野面の石積み。おそらくは穴太衆の手によるものやけど、実に美しい機能美を、楽しむことができる場所。
花崗岩の打ち込みハギとか切れ込みハギみたいにビシっと隙間なく組まれた石垣より、チャートの野面積みが、好き。高知城の美しさは、チャートの野面積みあってこそ。梅の段が梅の香りで包まれる頃、また来てみなくっちゃ。