鷹匠町、鷹、ウサギ、家光画伯〔7210〕2023/01/11
2023年1月11日(水)晴れ!
鷹匠町。この右手、こうちまち保育園様に用事があって、やって来てます。ここの運営はお見事で、保育士さんのレベルもすごい。いや、高知市でもピカイチの保育園だと思ってます。
で、鷹匠町。この左手は、現在の鷹匠町二丁目ですが、藩政期に「鷹匠町」だったのはこのエリア。現在、東向きの一方通行と西向きの一方通行に挟まれたエリアが鷹匠町で、鷹を飼育する鷹匠が住んでおりました。現在の鷹匠公園の場所が御鷹部屋なので、鷹が飼育されてた場所なんでありましょう。その辺のことについては、今から6年前、2016年7月27日、28日、29日、30日と4日連続で詳しくしぶとくしつこく考察してるので、お暇な方は、そちらをご覧ください。
そこでも書いたけど、鷹狩りというのは古来、世界中で行われて来ました。日本でも、日本書紀の時代から権威の象徴であったと言いますから、古い。恐らくは、渡来人によってもたらされた、鷹狩り。戦国武将が鷹狩りを好んだのは有名ですね。それは、鷹狩りが、戦国武将にとって地形探査や住民調査みたいな、戦争の下調べの意味合いがあったからとも思うけど、どうなんでしょうか。
徳川家康の鷹狩り好きは有名やったけど、その鷹狩りによって地形や地質が調べ上げられたことで、家康を、日本史上最高の土木プランナーに仕立て上げた、という説も、あります。藩政期になると、大名以外の鷹狩りは禁じられ、大名特権となったのでした。なので鷹匠町という町名が残っているのは、大名特権の名残、とも言える訳だ。
で。
鷹の絵画というのも、日本では古くから描かれてきたけども、ここで紹介したいのは徳川家光。言わずと知れた3代将軍家光。江戸幕府の、幕末まで続く各種制度を確立したと言われる徳川家光やけど、今に残る家光の絵が、かわいすぎると近年評判になっているの、ご存じでしょうか。元祖ヘタウマ。鷹の絵ではないけど、ウサギ、鳳凰、ミミズクなどなど、なかなか特徴的な絵が、今に残されています。徳川家には狩野派の絵師がついており、家光も、かの狩野探幽に絵を習ったというのに。いうのに。これだ。狩野探幽の鷹の絵は、これ。どうした、家光。
僕も知りませんでした。敬愛する山田五郎さんのYouTubeで知った、家光の絵。で、このページの展覧会が、家光ブレイクのきっかけ、らしい。今年は卯年なので、特にこのウサギの絵が注目されてたりします。なんという雰囲気。これ、わざとではなくて大真面目に書いている訳で、なんともかんとも、不思議な絵やねー。
将軍の絵でなかったら、今の世まで残されることもなかったかも知れんけどね。でも、残って良かった良かった。
このYoutubeにもあるように、2019年に「へそまがり日本美術」という展覧会で紹介されてから一気にブレイクしたという、家光画伯の絵。家光将軍も、まさか400年後に、こんな感じでブレイクするとは思ってなかったでしょうねー。
鷹匠町の話から、話が飛んでしまいました。今度は、山内家の絵についても書いてみんといけませんな。