高間原の15000年〔7135〕2022/10/28
2022年10月28日(金)晴れ!
高知で旧石器時代の遺跡と言えば、以前にも幾度か触れたことのある、南国市の奥谷南遺跡。医大の北西、高知自動車道脇にある、岩陰遺跡。岩陰遺跡で、かつてはチャートの巨岩が二つあったらしいけど、戦後になってひとつ、高速道路の工事でもうひとつが撤去されたようで、今はもう岩陰を見ることは、できません。高速道路の工事に際して発掘調査が行われるまで、縄文時代の遺跡と思われていたその遺跡から、15000年~20000年前と推測される石器が出土し、高知では珍しい旧石器時代の遺跡であることが確定した訳です。
高知で、旧石器が初めて見つかったのは、1965年、介良の高間原古墳群の発掘調査現場。高間原山という名前からして、古い歴史と信仰の山であったことが推測されるけど、その遺跡は、古墳が中心。以前、たつくったこと、あります。今朝はその高間原山を撮影してきました。この山の尾根、少し広くなった部分に確認される10基の円墳。その1号墳の調査中に、玄室敷石面から出土したのが、旧石器時代の細石刃石核。
古墳時代になって、どっかから運ばれてきたものが混じり込んだのではないか、という推測もできるけど、その古墳が周辺の土を使って盛り土したつくりであることから、最初からそこにあった石器である、ということになった訳ですな。
そうなると、もっと詳しい発掘をしてみたいところやけど、その山は稲荷神社さんが管理してて、まだ、詳細発掘調査には至ってません。
その後、宿毛宇須々木遺跡、奥谷南遺跡、それに物部川流域と、旧石器時代の痕跡が発見され、高知でも20000年前から人類が暮らしていた様子がわかってきています。
そうそう。高間原遺跡で出土した石器は石核。細石刃を剥ぐための、石核。なので、そこでは、石器が製造されていたのではないか、と推測され、そうであるなら一時的なキャンプではなくて、ベースキャンプ的な大きなものであった可能性もある、とのこと。まあ、ちゃんと調査してみたら、興味深いことがわかってくるかも知れませんねー。
地形分類図で見ると、高間原古墳がここで、奥谷南遺跡が、ここ。関係、あったでしょうね、間違いなく。20000年前は、海水面が今より100m以上低く、海岸線はずっと南まで広がっていた時代。ここで暮らした人たちは、どんな格好で、どんな言葉をしゃべり、どんな生活をしていたんだろうか。
その石核がつくられた時代から15000年後、ここに古墳群がつくられ、その1300年後に暮らしているのが我々。古墳も古いけど、その10倍以上古い歴史が、ここにある。