鉄道と乗客と物資〔7120〕2022/10/13
2022年10月13日(木)晴れ
朝晩、少し寒いくらいの気候になりましたねー。
ここは今朝、4時半の宝永町交差点。歩道橋の上から、西の方角を撮影しました。もちろんこの時間に電車が走っている訳もなく、自動車すらもほとんど通らない、静かな静かな電車通り。
この電車通りは、僕が物心ついた時からこの広さ。これは、戦後の復興を担った方々が立案し、実現した広さ。幅36m。その計画の中心となった人物が、高知市役所の清水真澄さんと言われてます。そう。柳原の、日本で最初の沈下橋をつくった時の、高知市の土木課長さん。戦後復興の都市計画を担うのは彼しか居ない、ということで指名されたのが、昭和の百々越前と言われた清水さん。清水さんが立案した当初案では、電車通りは50m幅だったそう。すごいね。あの時代に。
昨日も書いたけど、日本の鉄道の歴史は、明日で150年を迎えます。公共交通インフラというものを深く考えるきっかけになったらいいね。今朝の新聞にも少し書いてたけど、新幹線だって、将来、赤字になっていくことが想定されているんだそう。この人口減少社会の中で。そりゃあそうやね。
昔、鉄道誘致合戦が繰り広げられた時代に、まさかその路線が廃線になったり廃線の危機に陥ったりすることは想像できなかった。それと同じようなことが新幹線でも起こらないと誰が言えよう。「乗って残そう○○新幹線」みたいな運動が起こらないと、誰が言えよう。その可能性は、高い。
そんな中で、欧州とかでは当たり前やけど、鉄道は公共輸送インフラである、社会の一部である、という性質から、公的資金を投入して維持管理し、その社会を維持していこうという動きがあります。やはりその方向だよね。
あと、興味深い発想として、鉄道の「物資輸送」の側面を今一度見直してみよう、という議論があります。なるほど。社会全体のコストを考えると、ハブ間の幹線輸送は鉄道と船舶で担い、ハブからの短距離輸送をトラックで、というのが効率いいに決まってます。エネルギー消費も。
この眼下を走る路面電車。僕らにとっては「土電の電車」。この鉄道が開業したのは明治37年。古いよねー。そして伊野線が全通するのは明治41年。起点が桟橋になり、早速に伊野まで繋げたのは、伊野で盛んな製紙業の原料や製品を運ぶ為、という話もありました。安芸線でも、それが廃線になるまで野菜とかを運んでいたという歴史も、ある。
そうそう。以前、北海道で聞いた話を思い出しました。青函トンネルは新幹線専用線やけど、深夜は運行していない。そこで、北海道の水産物や農産物を、深夜に青函トンネルを通る貨物列車で首都圏へ輸送したら、新鮮なものを安価に運べるのではないか、という話。
JR四国が土讃線の貨物列車を廃してから、もう、36年。これからの地域社会を考える時、そして日本全体のエネルギー効率を考える時、今一度、鉄道での物資輸送を見直してみるのも、いいね。ポイントは、乗客輸送と物資輸送のハイブリッド。それは鉄道だけではなく、過疎地の交通インフラでも同じこと。
そんな研究や実験、進まんでしょうかね。某自動車会社がつくる実験的未来都市よりも、そんな実験やってほしいのに。
そんなこんなの鉄道150年。歴史は動き、社会は変わる。