陸上交通と海上輸送〔7013〕2022/06/28
2022年6月28日(火)曇り
昨日も暑かった。暑かったけど、全国的に見ると高知なんぞは暑い部類には入らんみたい。いやはや、まだ梅雨というのに炎暑になりました。そして、関東甲信、東海、九州南部は梅雨明けだって。なんだそりゃ。すごいね、まったく。すごい。
こうなると、生乳の需給は、一気に引き締まってきます。暑いと需要が伸び、乳牛は暑さにやられて乳量が減るから。僕らの業会は、非常にデリケートな需給バランスの上に成り立っているのであります。今までかなり緩んでたので、ここで引き締まるのは良いこと。熱中症対策に牛乳が良いことは実証されてるので、皆さん、牛乳飲んで頑張りましょう!
さて。先日、海上交通、水上交通のこと、書きました。ついこないまで、船は、そして舟は、人々にとって身近で便利なものだった。今の感覚よりもずっとずっと、水上は便利に活用されていた、という話。
では、陸上交通はどうだったのか。
日本の国土は高温多湿。しかも、プレート運動によってかなり険しい地形が形成されていて、平野が少ない。少ない平野には、縦横に河川が流れる。そういう地理条件だとどうなるか。それは、陸上交通にかなりの制約ができるということやね。
世界史を俯瞰してみても、例えばローマ帝国などは、その巨大な帝国の隅々まで見事に整備された街道を張り巡らし、その街道は現在の高速道路のように、サービスエリアみたいなのも完備され、そして馬車や、馬に引かせた戦車が高速で移動できる、まさしく高速道路であった、と言います。塩野七生さんは、そう言うてました。
中国でも、広大な平原を馬車や馬が往来し、その交通網が中央集権を維持して来た、というイメージがあります。もちろん黄河や長江などが果たした水運の役割も大きいけど、陸上の往来も重要。
翻って日本では。
例えば東海道。あの幹線道路でも、箱根を越えたりいくつもの大河、小河を渡ったり、ということが必要で、名古屋からはあまりにも河川が多く、街道が海上輸送になったりしてました。つまり、陸上の交通がなかなか不便な地理的条件でした。
明治になり、その不利な条件を一気に克服したのが、鉄道でしょう。そして自動車の時代になり、山や河川をものともしない道路がつくられ、現在に至る。僕らが見ている当たり前の風景。
しかし、つい最近まで、当たり前でもなかった。酪農家さんの話だと、戦後もしばらく、ここには渡し船があったそうです。戦前の地図を見ると、こう。確かに舟のマーク、渡し船。物部川は、上流の木材などの物資を運ぶ便利な交通インフラであったと同時に、陸上交通を遮る障害でもあった訳だ。写真は、今朝5時前の、その場所。ここに、渡し船がありました。
陸上輸送が当たり前になったのは、日本人の歴史の中ではほんの最近のこと。ついこないだまで、水上交通、海上交通がメインで、浦戸湾は高知の城下の人々にとって、今よりもずっとずっと身近で便利なインフラであった、ということを、覚えておきたいね。
さあ。今日も暑い1日が始まりました。暑さに負けず、牛乳飲んで仕事を始めよう!