電通案件の「ご縁」〔7012〕2022/06/27
2022年6月23日(木)晴れ
暑い日が続きますねー。晴れると蒸せる、梅雨の時期。
さて。このにっこりひまわりも、こないだ連続7000日を迎えた訳やけど、長年読んでくださっている有難い有難い読者の方もいらっしゃいます。
今から7年前の5月、二葉町から中の島へ渡る渡船のことなど、貴重な風景のことを教えて下さったいの町在住のF子さんも、ずうっと読んで下さっております。本当に有難いこと。そのF子さんは、昨年も、柴巻から小浜へとつながる道を、夜、お父様におんぶしてもらって歩いた話をお手紙に書いて送って下さいました。僕らが知らなかった昔の話を、素敵な臨場感でお話くださるのは、とても嬉しいですね。そして。
ビックリしました。
こないだ、現在の高知会館の場所に、昭和24年から27年までの3年間だけ存在した「電気通信省」の高知の出先機関が存在した、という話を書きました。その痕跡の標柱が、今も高知会館駐輪場の片隅に転がっている、と。すると。再びF子さんから葉書を頂戴しました。そこには、こんな内容が書かれていたのです。昭和26年3月に高校を卒業されたF子さんが「知人の紹介で『電気通信省高知電気通信管理所』へ臨時職員でしたが採用されました。」という話。そして、そのうち電気通信省ではなくなり、帯屋町の電話局へ異動された、という内容。驚きました。いや、ビックリ。吃驚。
まさか、昭和20年代にたった3年しか存在しなかった施設にお勤めになっておられた方が、身近にいらっしゃったとは。こんなこともあるんですね。19年間も続けてきてますと、本当にいろんなことがあります。こんな感動があるので、やめられません。F子さん、貴重な情報、本当にありがとうございます。
F子さんは、電話局勤務後、一念発起して保育士を目指されて大学に進学し、その道を極められました。その社会人生活のスタートがあの場所、現在の高知会館さん、当時の「電気通信省高知電気通信管理所」だったという訳です。
もし、僕が高知会館へ自転車で行ってなければ、駐輪場の片隅に転がるあの標柱に気付くこともなく、もし気付いたとしても「痕跡学会」やってなければ調べてみることもなかっただろうし、調べなければあそこが「電気通信省高知電気通信管理所」だったことも知らんかった訳で、今回の、この感動のお葉書を頂戴することもなかった、ということになります。
世の中の不思議、そして何より「ご縁」を感じ、不思議な気分に浸っております。
F子さん、驚きと感動を本当にありがとうございます。これからも、どうかよろしくお願い申し上げます!